松茸(まつたけ)

 古来、茸の王者とされている。主としてアカマツ林に生え、まれにはエゾマツ、カラマツ、トドマツ、ツガなどにも生える。昔は日本中の赤松林に生えていたものだが、近ごろは滅多に見られなくなり、国内産の松茸は1本で数千円もする貴重品になった。

 日本国内で松茸があまり採れなくなった理由についていろいろ言われているが、中でも有力なのが農林業の衰退とともに、森林の下草刈りが行われなくなったことだという説である。松茸は生きている赤松の根に菌糸をからませ菌根を発達させてキノコとなる。適当な陽射しと風通しが必要なので、松の根方が下草で覆われてしまってはうまく成育できない。山の手入れが不十分になったから松茸が生えなくなったというのである。

 しかしこれほど松茸が高価になったのだから、かなりの人手をかけても山の手入れをして松茸を生やせば十分採算がとれる筈である。現実にそうした努力をしている山林の持主も少なくないようだが、それでも思うような収穫が得られないという。何十年も放ったらかしにしていた山林を慌てて手入れしても、いきなりは生えてはくれないということなのか、それとも松茸の生育にはもっと複雑微妙な条件があって、日本の自然環境が変化してしまったことが根底にあるのか、よく分からない。

 キノコには椎茸を代表格にハタケシメジ、ヒラタケ(両方ともシメジと称して売られていることが多い)、エノキダケ、ナメコなどのように倒木や枯木に生えるものと、松茸、ハツタケ、ホンシメジなどのように生きた樹木の根に菌根を生やすものとがある。椎茸はもちろん、エノキダケやナメコ、偽のシメジなど伐採した木(材木、ほだ木)に生える茸は、盛んに人口栽培されてスーパーの目玉商品になるほど安価に大量供給されるようになったが、松茸だけはそうはいかない。生きている赤松、それも4、50年以上たった立派な赤松林でなければ生えないためである。

 松茸が日本人にこよなく愛されてきた理由は、得も言われぬ芳香と独特の歯触りであろう。あの特有の香りは松茸が含むマツタケオールというもので、現在は合成できるようになった。そこで「松茸の味」などと銘打って、椎茸や輸入ものの松茸の乾燥したものに合成マツタケオールを振りかけたインスタント吸い物の素などが売られるようになった。

 松茸の近縁種のキノコは世界各地に生えており、朝鮮半島、中国雲南省、カナダ、アフリカ大陸北部、ヨーロッパ各地のものがたくさん輸入されている。このうち雲南省のものと北朝鮮の松茸は日本のものとほとんど同じ香りと味を持っている。カナダ産は形は立派だが香りが今一つで、安い小料理屋などがインスタントお吸い物の助けを借りて土瓶蒸しにしたりしている。

 松茸は吸い物、土瓶蒸し、松茸飯、茶わん蒸しやすき焼の具、佃煮、あるいは少々もったいない気がするがバタ焼にしたりと、どのように料理しても旨い。しかし何といっても一番は焼松茸であろう。とりたての松茸を炭火でさっとあぶって醤油をほんの少々かけ、好みによってはユズかスダチの絞り汁をひとたらしかけて食べる。このもっとも素朴な食べ方が最高である。

 純金より高いと言われる昨今ほどではないが、昔も松茸は他のキノコに比べれば貴重品扱いにされていたようである。松茸の名産地である京都に住んだ向井去来に「松茸や人にとらるゝ鼻の先」とくやしがっている句がある。秋も深まると都の男も女も連れ立って近郊の松山に松茸狩りに出かけた。もちろん茣蓙や毛氈を抱え、酒の瓢をぶら下げて行く晩秋のピクニックである。

 松茸はどこにでも生えているものではない。見つけるのはなかなか難しい。枯れ松葉をそっとどけるとまだ丸くすぼまった若い松茸が見つかると宝石でも手に入れた気分になる。するとその近くには立派に育って堂々と傘を広げたのがあった。みんな鵜の目鷹の目で、見つけると嘆声が上る。古来男性の象徴になぞらえられた松茸を探す遊びは、老若男女を問わず開放的な江戸時代の人たちの心を楽しませるものであったらしい。

 何はともあれ日本人にとって松茸は秋を感じさせる最高の食材であり、それがため今でも地球上あらゆるところから松茸が空を飛んで来て、デパートの地下食品売り場の一角を占めている。中でも松茸飯は初夏の筍飯と並んで季節を最もよく表わす食べ物として、わざわざ松茸とは別建ての季語になっているほどである。


  松茸や知らぬ木の葉のへばりつく   松尾芭蕉
  松茸の山かきわくる匂ひかな   各務支考
  松茸の相寄る傘に山雨急   秋元不死男
  松茸の傘が見事と裏返す   京極杞陽
  躊躇なく焼松茸として喰らふ   板谷芳浄
  松茸に神代の宵や通り雨   加藤郁乎
  松茸の一本に夕餉豊かなり   瀬戸みさえ
  松茸が異国の赤い土こぼす   根岸竹葉
  松茸を食ふためこころ空けておく   坂本登
  駅弁も松茸飯の京都かな   西堀貞子

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