ヒガンバナ科の多年性草本植物で「彼岸花」が本名。秋の彼岸の頃、川の堤や土手、薮の中、寺の裏庭や墓地で真っ赤な花を咲かせる。土中から薄緑の茎を30センチほどにゅっと伸ばして、その先に長いしべの小花を輪状に並べて、赤い花火のように咲く。日陰でもよく育ち、墓地などにこれが群落し一斉に開花した光景は一種異様な雰囲気につつまれる。しかし、明るい草原にこれが群がり咲く光景ははなやかで、同じ曼珠沙華でも場所によってこうも違うのかと、何となく人間社会の運不運といったことに想いが飛躍していったりする。
曼珠沙華という名前は法華経に由来し、天上に咲く赤い花で、見る者の心を和らげるという。中国原産の球根(鱗茎)植物で大昔に日本に渡来したらしく、今では日本中至るところに自生している。白花の彼岸花もあり、清楚な感じである。
その名の由来からすれば、曼珠沙華はもてはやされていいはずなのだが、「死人花」「幽霊花」「捨子花」といった別名もある通り、人によっては忌み嫌う。死人花という呼び名は墓地によく見られることからの連想であろう。
彼岸花は咲き終わって茎も枯れ、誰もがすっかり忘れてしまった頃、地面から濃緑の葉がたくさん生えて、冬中青々としていると思ったら、春になるとそれも消えてしまう。そして秋に突如緑色の棒のようなものが現れて、いきなり真っ赤に咲き出す。実に不思議な草である。「花が葉々に別れる」から「捨子花」なのだというこじつけ話もある。
彼岸花は鱗茎にリコリンなどのアルカロイドを含み、有毒である。漢方や民間療法では石蒜(せきにん)と言い、すりおろして足の裏に貼る。強い利尿効果を発揮し、腹膜炎や浮腫、足のむくみなどに用いられた。
また、彼岸花の球根は澱粉をかなり含んでいる。植えっぱなしで増えていき、手入れも何もいらない。そこで昔の人たちは農作物の邪魔にならない場所、たとえば畦道や道端、河原の土手、あるいは墓地の空地などに植えた。毒のある草花だから普段は手も触れない。ほとんど話題にもしない。そして何年かに一度必ずやって来る飢饉の時になると、彼岸花の根を掘り出してすり潰し、水で何度も晒して毒を洗い流した後の澱粉を取り、飢えをしのいだのである。「毒」「飢饉」「墓地」と、どうもイメージが良くない。こんなところから彼岸花は長いこと不当な評価を受け続けて来た。
しかし近ごろはだいぶ評価が変わって来たようである。外国人、特に西洋人がこの花を非常に好み、堂々と花壇に植えるようになった。また南アフリカにもヒガンバナ科の美しい花がたくさんあり、それがヨーロッパやアメリカに移されて改良され、おびただしい園芸種が生まれた。黄花のルテア(キバナタマスダレ)でおなじみのステルンベルギアや、さまざまな花色が楽しめるネリネなどである。それが日本にも輸入されてもてはやされるようになった。
そういった輸入種の花をつくずく眺めているうちに、「なんだ曼珠沙華じゃないか」ということになって、昔からある彼岸花が見直されるようになったようである。近ごろ大都市周辺の町村では、休耕地などに彼岸花をわざわざ植えて大きな赤じゅうたんを演出し、秋の行楽客を呼び込む”村おこし”まで出て来た。
つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女
曼珠沙華南河内の明るさよ 日野草城
四十路さながら雲多き午后曼珠沙華 中村草田男
彼岸花咲く薮川のうす濁り 内藤吐天
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森澄雄
対岸の火として眺む曼珠沙華 能村登四郎
曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて 野見山朱鳥
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 金子兜太
皇居てふ不思議な島の曼珠沙華 和田知子