空気中に浮遊している物体(塵、海塩など)が冷えていくと、その回りに水蒸気が固まりついて細かな露が出来始める。これが漂っている状態が「霧」で、立ちこめると周囲がぼやけて来る。気象学では水平視程(水平方向に見通せる距離)が一㎞以下になると「霧」と言い、それ以上見通せる薄い霧の場合を「靄(もや)」と言う。
つまり霧は地面や海面が冷えて水蒸気が凝結した状態、あるいは温まった地面に冷えた空気が通過したりした時に発生するわけで、一年中見られる現象なのだが、特に気温変化が著しい秋に多いので、秋の季語になった。春も同じような気象条件になることが多く、霧が盛んに立ち込めるが、春の場合は霧とは言わず「霞」と呼ぶ。
万葉集の時代、「霧」は別に秋のものと決まってはいなかった。「春の野に霧立ち渡り降る雪と人の見るまで梅の花散る」(万葉集巻五・八三九、筑前日田氏真人)のように、今日では霞と詠まれるはずのものが霧になっている。平安時代になると、「秋霧の晴るゝ時なき心にはたちゐの空も思ほえなくに」(古今集巻十二・五八〇、凡河内躬恒)というようにわざわざ秋という文字を添え、秋の霧は深くてなかなか晴れないしろものであるという印象が強まり、そこから「霧は秋のもの」という考えが生れて来たようである。そして平安末期になると秋という文字がとれて、「霧」単独で秋の景物として詠まれるようになって行く。
もともと中国では朝焼や夕焼など空気中の水滴に太陽光線が反射して赤く見える現象を「霞」と言っていた。これが日本に伝わって、霧と混同され、春のもやがかる景色を言うようになった。それで春の霧を霞と書き、霧は秋のものというのが定着した。
さて霧が秋のものとなると、そこにはいろいろな気分が付け加えられて行く。春の霞と異なり冷たい感じがするところから、ふと我に返る気分、冷静さを取り戻すきっかけとして詠まれることがある。また秋に付き物の「物思い」を導き出す自然現象ともなる。もっと深く、「心が晴れない」とか「憂愁」のシンボルともなる。また、「五里霧中」という言葉があるように、霧に包まれると出処進退がおぼつかなくなり、途方に暮れてしまうところから、不安感を表すための小道具としても用いられる。もちろん、朝霧、夕霧に包まれた秋景色を平明に詠むのが王道ではある。
霧は霧単独で詠まれるだけでなく、朝霧、夕霧、夜霧、薄霧、濃霧、山霧、野霧、川霧、海霧(ガスと読む場合もある)、さらには霧の谷、霧の海などと詠まれる。また、霧に隔てられて物事がよく分からなくなった様子を言う「霧の帳(とばり)」などもよく使われた。鬱屈した状態、心が晴れない様を「心の霧」「胸の霧」とも言う。
霧が飽和状態になって小雨のように降るのを霧雨、霧時雨と言う。海霧が立ち込めた時に船同士あるいは灯台が鳴らすのが霧笛で、独特の情緒が漂う。
人をとる淵はかしこか霧の中 与謝 蕪村
霧こめて道行く先や馬の尻 高井 几董
有明や浅間の霧が膳をはふ 小林 一茶
樵夫二人だまって霧を現はるる 正岡 子規
白樺を幽かに霧のゆく音か 水原秋櫻子
寄生木のうすうす見えて霧の中 鈴木 花蓑
さやうなら霧の彼方も深き霧 三橋 鷹女
海彦のゐて答へゐる霧笛かな 橋本多佳子
捨てマッチ地に燃え青春は霧か 宮坂 静生
川霧の深きに佐久の鯉料理 大久保幸子