桔梗(ききょう)

 日本全土から朝鮮半島、中国に至る東アジア一帯の日当たりの良い山野に自生するキキョウ科の多年草で、晩夏から秋にかけて花弁が五裂した鐘形の青紫の花を咲かせる。古くから日本人の大好きな花で、秋の七草の一つになっている。万葉集で山上憶良が「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 萩の花尾花葛花なでしこが花をみなえしまた藤袴朝顔が花」と詠んでいるが、この「朝顔」はキキョウのことだとされている。

 平安時代になると朝顔は現在のアサガオを言うようになり、キキョウは中国から伝わった漢字で桔梗と書かれ、「きちかう(きちこう)」と呼ばれるようになったようである。古今集には紀友則の「きちかうの花、秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく」(巻10)がある。これは物の名前を一見分からないように折り込んで詠む約束の物名歌(ぶつめいか)というもので、「秋ちかう」が「(ア)キチカウ」となっている。宮廷女性の衣服である襲(かさね)の色目にも「きちかう」というのがあり、表は赤味がかった藍色で裏は青の布地である。あきらかに桔梗色である。

 こうして「きちかう」という呼び名は後世まで伝わり、なんと現代俳句でも盛んに使われている。「牡丹」を「ぼうたん」と意味もなく引き延ばして詠むやり方に比べれば、「きちこう」にはそれなりに由緒があるのだが、ただ単に字数合わせで用いるのはやめた方がいい。「きちこう」という一般には通じない呼び方を使うのであれば、それなりの理由が無ければなるまい。先人が用いているから許されるといった安易な姿勢では、良い句が生まれるはずがない。

 桔梗は高さ50センチから1メートルほどの堅い茎がすっくと立ち、縁に細かなぎざぎざのある細長い卵形の葉が互生する。茎を切ると乳白色の少しねばつく汁を吹き出す。夏も深まった頃、茎の頂上あたりに二つ三つのつぼみをつける。つぼみは小さいころは黄緑色をしており、大きくなるにつれて白から青味がかかり、すっかりふくらんで紫がかって来ると、ポンと割れて星形の花を咲かせる。この折り紙の風船のような莟を指で潰すと、かすかにぽんといって割れる。4、5歳の頃、父親が丹精込めて育てていた桔梗が今日明日いよいよ花開くという時に、片端から潰してしまって怒られたことを思い出す。

 桔梗は山野に自生する強い植物だから、庭園の片隅にでも植えておけば毎年秋になると咲いてくれる。というわけで古くから園芸植物になり、改良され、真っ白な花を咲かせる清楚な白桔梗や、ピンク色、五弁の花弁が二重になる二重咲き、鉢植用に草丈20センチくらいで花をつけるものなどが生まれた。

 桔梗の根はゴボウのように太くしっかりしており、サポニンという薬効成分を多量に含んでいるところから、生薬として珍重された。根を刻んで乾かしたものが桔梗根で、これを煎じたものを咳止め、痰切り、鎮痛解熱、消炎排膿などの薬にする。漢方薬の十味敗毒湯、防風通聖散などには桔梗根が入っている。

 もちろん根は食用にもなり、朝鮮半島に住む人たちはトラジと言って珍重している。キンピラゴボウのように細く刻んだものをさっと湯がき、ごま油で和えてナムルを作る。ビビンバ(いろいろな具を乗せた御飯)にはこれが欠かせないというが、東京あたりの韓国料理屋で出すお手軽なビビンバには、こうした高級食材は無理だろう。野生の桔梗は日本では環境省の絶滅危惧種リストに載るほど少なくなり、朝鮮半島でも食用にするほど生えては来なくなったようである。そのせいか韓国、北朝鮮、中国では花を鑑賞するためではなく、漢方生薬、食材として桔梗を盛んに栽培しているという。

 山歩きをしていて、偶然、桔梗が咲いているのにぶつかると感激する。庭などに咲く桔梗は美しいことは美しいが、いかにも地味である。ところが山野ではとても目立ち、すっくと立った姿は実に清楚で凛々しい感じがする。こんなところが日本人好みなのだろう、武士の紋所に取り上げられた。

 有名なのは明智光秀である。美濃の名族土岐氏の家紋が桔梗紋で、土岐氏の出である光秀もこれをつけた。光秀は天正10年(1582年)6月2日、突如本能寺の信長を襲うのだが、その4日前の5月28日、京都愛宕山(愛宕神社)に参詣、連歌師里村紹巴を招き一族郎党と連歌愛宕百韻を巻いて奉納した。その時光秀が詠んだ発句が「時はいまあめが下しる五月哉」である。後世この発句が、いまこそ土岐(時)が天下に号令するのだという光秀の決意表明だったのだという説が流布された。とにかくこのエピソードもあって、光秀は暴虐な信長を討ったいさぎよい武人だったのだと判官贔屓をあおり、『時今也桔梗旗揚』(四世鶴屋南北)という歌舞伎狂言まで生まれた。これも桔梗の清々しくきりっとしたイメージがかなり強く作用しているように思う。

 桔梗を詠んだ句は江戸時代からずいぶん沢山あるが、一茶の「きりきりしゃんとしてさく桔梗かな」が、桔梗の雰囲気を直截にうたっている。


  修行者の径にめづるききやうかな   与謝蕪村
  きりきりしゃんとしてさく桔梗かな   小林一茶
  紫のふつとふくらむききやうかな   正岡子規
  仏性は白き桔梗にこそあらめ   夏目漱石
  桔梗やまた雨かへす峠口   飯田蛇笏
  手触れなば裂けむ桔梗の蕾かな   阿波野青畝
  桔梗や男も汚れてはならず   石田波郷
  莟より花の桔梗はさびしけれ   三橋鷹女
  桔梗一輪死なばゆく手の道通る   飯田龍太
  桔梗やおのれ惜しめといふことぞ   森澄雄

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