中国原産のバラ科の落葉高木。晩春にナシやリンゴの花に似た五弁の淡紅色の花を咲かせる。果実はでこぼこの楕円形で、晩秋に黄色く熟れると、とても良い香りがする。古代の中国宮廷の美女たちは花梨の実を衣装箪笥に入れて衣服に香りづけしたという。
花梨の実は良い香りがしていかにも美味そうだが、堅くて酸っぱく渋く、無理して噛んでいると口中にかすがいっぱいたまる。とても食べられたものではない。効率一辺倒の世の中では、食べられない果実など利用価値が無いというわけで、いつの間にか忘れられた果実になった。
しかしなかなかの薬効成分を含んでおり、特に咳止め、利尿に効能ありとして珍重されて来た。近頃の日本は空気が極端に汚れ、喉を痛める人が多くなったためか、花梨の実のエキスを混ぜたノド飴が人気になっている。家庭で果実酒を作ることも多くなり、都会の八百屋の店先にも花梨の実が並ぶようになった。また花梨は木材としても利用価値が高く、やや赤みを帯びた細やかな木目が美しく、堅いので、昔から床柱や高級家具の材料として用いられて来た。
花梨がいつごろ日本に入って来たものかはっきりしないが、かなり古くからあったことは確かである。樹形も面白く、花も美しく、実もでこぼこして愛嬌があるから、江戸時代には庭木や盆栽として大いに人気になったようである。曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」にも九月の項に載っており、江戸の昔から季語として詠まれていたことが分かる。
そう言えば、でこぼこ頭のことを「かりんあたま」と言ったらしく、「広辞苑」にも載っている。こんな喩えにも引かれるくらいだから、花梨は今よりはずっと馴染みのある果実だったに違いない。『かりんの実小泉信三を師に持ちき 内田哀而』という句があるが、これからすると第二次大戦後も「かりんあたま」という言葉は生きていたようである。
花梨とよく似たものに「まるめろ」がある。これは中央アジア原産で、ギリシャ・ローマ時代にはヨーロッパ各地で栽培されるようになった。日本へは江戸初期にポルトガル人によって長崎にもたらされた。そのためにポルトガル語の「マルメーロ」がそのまま日本語になった。
まるめろもやはりバラ科の落葉高木で、花も実も花梨そっくりである。ただ、まるめろの実はでこぼこではなく、やや小型で、果皮にうぶ毛が生えているところが違う。しかし素人では花梨とまるめろはなかなか区別できず、俳句でも明らかにまるめろなのに花梨と詠んでいるのを見かける。現実に、長野県あたりではまるめろを花梨と呼んでいる。
花梨もまるめろも、その高い香りを愛でる句が目につく。そこからすがすがしさや山の涼気などに想いが広がっていくようである。
くわりんあり鳥羽僧正の絵巻あり 後藤夜半
くらがりに傷つき匂ふかりんの実 橋本多佳子
かりんの実しばらくかぎて手に返す 細見綾子
くわりんの実越えきし山の風のいろ 原裕
かりんの実挿すや静かに壺匂ふ 加藤知世子
山々の冷え招きゐるかりんの実 野坂紅羽
黄のかりんとことんでこぼこ鈴なりに 工藤厚子
世をすねし様にまるめろゆがみしよ 島田五空
まるめろにはや新雪の槍穂高 加藤楸邨