「かかし」は昔は「かがし」と言っていた。今でも地方によっては「かがし」と濁って発音する。幕末から明治にかけて横浜に住み、医療とキリスト教布教のかたわら日本語研究に精力を傾け、ヘボン式ローマ字を作ったJ.C.ヘボンの「和英語林集成」(慶応三年、一八六七年出版)にも「Kagashi カガシ 案山子 (n.) A scarecrow made in the shape of a man」とある。この辞書は当時使われていた日本語をローマ字で表記していることから、その頃の発音が解る貴重な文献なのだが、これからしても、明治初年には横浜あたりでも「かがし」と呼ばれていたことがはっきりする。
「かがし」は「嗅がし」のことである。収穫の秋になると、山から猪、熊、鹿などの獣や鳥が田畑を荒らしにやって来る。それらを追い払うために鳥獣の死骸を竿竹の先に括り着けたものを立てたり、燃やして悪臭を発したりした。これを「かがし」と言った。鳥や獣が悪さをするのも、その背後にいる悪霊の仕業と信じられており、悪霊退散には悪臭を以てするのが一般的であった。節分にヒイラギの枝に鰯の頭を刺して軒先に掲げるのも、腐った鰯の悪臭が魔除けになると信じられていたからである。
「そほづ」というものもあった。これは医薬やまじないの創始者である少彦名命(すくなひこなのみこと)の異名「曽富騰(そほど)」から出た言葉で、やはり田畑を荒らすものたちを追い払うための各種の仕掛けをこう呼んだ。後年、「添水」「僧都」という字が宛てられ、伐った竹に田水を溜め一杯になると自重で傾いて水がこぼれ、軽くなった竹筒が元に戻る勢いで石を叩き大きな音を出す仕掛け、いわゆる「鹿脅し」を指すようになった。
もう一つは、田畑の実りを鳥獣被害から守ってくださいとストレートに神に祈り、そのしるしとして風にひらひらする藁しべや木の葉を吊るしたしめ縄を田畑の回りに張り巡らしたり、神が乗り移ったものとしての人形を立てたりする方法もあった。
このように悪臭を発するもの、音を出す仕掛け、人形、という三つの害鳥害獣除けを総称して、万葉時代には「そほづ」と言うようになったのだが、この頃には現在と同じような一本足の人形スタイルが田畑を守るシンボルになっていたようである。古今集巻19の俳諧歌に「あしひきの山田のそほづおのれさへ我を欲しといふうれはしきこと」という詠み人知らずの歌がある。山田の中の案山子(みたいな)お前までが私を欲しいだなんて、まったくいやんなっちゃうわ、と言うのだから、この頃にはもう案山子は可哀想に愚弄の対象にされていたようである。
「そほづ」と呼ばれていたものが、いつごろ「かがし」と呼ばれるようになったのかは定かではないが、恐らく「そほづ」と「かがし」の両方が使われていた時代がずっと続いて、室町時代あたりから「かがし」の名称が主流になっていったのではなかろうか。江戸時代になると、鹿おどしの方は「そほづ」、人形の方は「かがし」と使い分けられるようになったようである。
それでは何故、いつごろ、「かがし」に「案山子」という字を宛てるようになったのだろうか。どうやら「案山子」は鎌倉時代に宋に留学した禅僧が持ち帰った言葉らしい。講談社版「語源辞典」によると、宋代の禅書「景徳伝灯録」に「面前案山子」という言葉が載っており、案山子とは案(机)のように平らな山「案山」の山田を守る「子」(人・人形)の意味だという。つまり「かがし」のことである。面白いことに禅宗の坊さんの間では、ぼやっとしていて役に立たない者を案山子と言ったのだという。ここでもまた案山子は愚弄対象である。
極め付けと言うべきは文部省唱歌の「案山子」である。明治44年に刊行された「尋常小学唱歌(二)」に載せられて以来、つい最近まで連綿と歌い継がれて来た童謡だが、その歌詞を改めて眺めるとすごい。「山田の中の一本足の案山子、天気のよいのに蓑笠着けて、朝から晩までただ立ちどおし、歩けないのか山田の案山子」である。2番となると、「弓矢で威して力んで居れど、山では烏がかあかと笑う、耳が無いのか山田の案山子」と来る。何だか差別丸出しといった感じで、近ごろ、学校ではとんと歌われなくなっているようだ。
しかし、万葉の昔からつい先頃まで、馬鹿にされ通しだった案山子だが、そこがまた人々に愛される所以でもあった。破れ笠にぼろをまとい、へのへのもへじの顔で田圃に突っ立っている姿は、ユーモラスでもあり、一抹のペーソスも感じさせる。
昔の人だって、案山子は烏や雀にまで馬鹿にされて、あまり役には立たないことを知っていた。けれどもやはり、汗水流して育てた稲を自分になり代わって見守っていてくれよという気持で、田圃の真中に案山子を立てた。
案山子は誰の心の中にもある日本の原風景のシンボルでもあり、農業国家に生を受けた日本人そのものを現わす形代でもあった。ところが今日では農業技術の進歩で案山子に頼る必要が無くなった、というより、そんな無駄なものを立てる必要はないという偏狭な合理精神が幅を利かせるようになって、この愛すべき姿を見ることが少なくなってしまった。観光用に「変わり雛」ならぬ「変わり案山子」を集めたコンクールが行われ、テレビに映されたりしている。
水落ちて細脛高きかがしかな 与謝蕪村
案山子にもうしろ向かれし栖かな 小林一茶
雲帰る山を見て立つかゝしかな 夏目成美
十年の狂態今に案山子かな 正岡子規
案山子運べば人を抱ける心あり 篠原温亭
道別れ人わかれゆく案山子かな 渋沢渋亭
倒れたる案山子の顔の上に天 西東三鬼
両手拡げて闇より案山子出て来たり 清水仁
出征旗まきつけ案山子立腐れ 沢木欣一
野の遺賢めきて用なき捨案山子 清水基吉