南瓜(かぼちゃ)

 南瓜は16世紀の半ば頃、天文年間にポルトガル船によって日本に持込まれたという。武田信玄と上杉謙信が川中島でチャンチャンバラバラやっていた頃である。カンボジアから来たというので「カボチャ」と呼ばれ、南の方から南蛮人(スペイン、ポルトガル人の呼称、オランダ人のことは紅毛人と呼んだ)が運んで来た瓜だから「南の瓜」という字を宛てたようである。

 春の彼岸過ぎに種を蒔くとやがて肉厚の大きな双葉を生やし、ゴールデンウイークの頃になると蔓を延ばし始める。蔓は太くて細かな毛がびっしり生え、濃緑で大きな本葉もざらざらごわごわしている。ほどなく黄色の雄花と、やはり黄色で基の所に小さな実をつけた雌花が次々に咲き始める。梅雨も日照りも大好きで、家庭菜園に植えようものなら四方八方に勢いよく蔓を延ばし、放っておけば庭木を覆い、屋根の上まで這い登って行く。知らないうちに実を付け、秋になると大きなのがごろごろ転がる。

 極めて頑健な植物で病虫害にも強いから、面倒な世話もいらず、素人向きの果菜である。食料難の戦中戦後時代、庭のある家では必ずと言っていいほどカボチャとサツマイモを作っていた。「銀の匙」という珠玉の短編を残した小説家中勘助に「かんすけの南瓜なりけり畑十坪」という微笑ましい句がある。活弁、漫談家の徳川夢声は「東西南北南瓜はびこる如何にせむ」と詠んだ。誰もかれも、きれいな庭をつぶして南瓜を作っていたのである。

 こうして出来た南瓜や薩摩芋を、秋から冬にかけて毎日のように食べさせられたせいか、その当時、育ち盛り食べ盛りだった現在の60歳代から70歳代の人の中には「南瓜嫌い」「薩摩芋嫌い」がずいぶんいる。

 南瓜は南北アメリカ大陸が原産地と言われているが、ずいぶん早くから世界中に広まったらしい。15世紀から始まった大航海時代には、日持ちのする南瓜は貴重な食糧として船に積み込まれたようである。天文年間にポルトガル船が日本に持って来た南瓜も食糧として積み込まれていたものかも知れない。

 なにしろ果皮が厚いため、かなり長期間の保存に耐える。秋に収穫したものを直射日光の当たらない、比較的涼しくて乾燥した場所、たとえば納屋の棚などに置いておけば翌年春まで食べられる。カロチンやビタミンB群をはじめ栄養価に富んでいるから、江戸時代には野菜不足になる冬場に重宝がられた。冬至に南瓜と小豆を煮て食べると中気にならないという言い伝えがあり、今日でも冬至の晩食に南瓜の一品を添える律義な家庭も残っている。

 とにかく栽培しやすく、荒地でもよく実り、保存が利いて栄養価も高いということで、南瓜は渡来するや、たちまち日本全国に広まった。それも米作が困難な山間僻地で盛んに作られた。武田信玄の甲州は山国で荒地が多く、米が作りにくかったから、雑穀、麦、南瓜に頼っていた。甲州名物の「ほうとう」は小麦と雑穀の粉を混ぜて作った太い饂飩状のものと南瓜が主役のごった煮汁である。まさに寒村の食物だが、その素朴さがぜいたくに馴れた現代人の郷愁をそそって、人気を呼び、東京には専門店まで出現するようになった。もっとも東京の店が食わせるほうとうは、旨い出汁を使い、ほうとうそのものも純良小麦粉を用いたぜいたくな代物で、南瓜の切り方まで上品である。

 南瓜は緑色のものが多いが、黄色や濃いオレンジ色、赤いもの、白いものもある。果肉はすべて濃い黄色で、大きな種は乾かして煎るととても旨い。品種としては大きく分けて3種類ある。一つは江戸時代に日本で改良され定着した「日本南瓜」。これには王冠のような形でひだがあって菊の花のような姿をした菊座南瓜と呼ばれるものと、果皮全体に細かな縮緬状の皺があるチリメン南瓜がある。もう一つは明治以降に米国から入って来た栗南瓜と言われる皮が固い「西洋南瓜」。三番目は、茹でると果肉が素麺のようにほぐれて吸い物や酢の物などの料理に使われるソウメン南瓜や、最近流行のイタリア料理で使われるズッキーニなどの「ペポカボチャ」である。この他に一抱えもある大きさになる飼料用カボチャ、掌に乗るほどの可愛らしい観賞用カボチャがある。

 南瓜は胡瓜、茄子、冬瓜などと比べるとずっと遅く日本に入って来た食材だが、「とうなす」「なんきん」などとも呼ばれてこよなく親しまれ、一般家庭の食卓ばかりでなく、高級な京料理や江戸の料亭でも供されるようになった。野放図に生い茂りごろごろと実を成らせる生態も、収穫した実の間の抜けた感じも、食べる段になってのおかずだか主食だか分からないような喉越しも、南瓜というのはまことに変わっている。


  ずっしりと南瓜落ちて暮淋し   山口素堂
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  梁上に貯へてある南瓜かな   深川正一郎
  赤かぼちゃ開拓小屋に人けなし   西東三鬼
  日々名曲南瓜ばかりを食はさるる   石田波郷
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