鰯(いわし)

 鰯は日本で最もたくさん穫れる魚である。昭和初年には年間百60万トンと当時の全漁獲高の半分以上を鰯が占めた。その後だんだん減って、昭和30年代の半ばには10万トンくらいに落ち込んだが、その後また徐々に回復してきた。黒潮の流れの影響を受け、年によって豊漁不漁の波が大きいようだが、近年は100万トンから400万トンくらいの水揚げがあるという。

 黒潮に乗って日本近海に大群で押し寄せ、海岸すぐ近くまで来るから、大きな船のなかった大昔でも割に簡単に穫れたのであろう、奈良平安時代からよく食べられていた。しかし鰯は傷みが早く、ちょっと古くなると生臭さが強烈になり、それが嫌われて長い間下賤な魚とされてきた。「賎しい魚というのが訛ってイワシになった」という、ひどい解釈もある。さらに古くなると鼻が曲がるほどの悪臭を放つ。これでは悪鬼も退散するはずだと、節分には柊の枝に鰯の頭を刺して門口に掲げた。

 江戸時代になると漁法もかなり発達し、大量の鰯が穫れるようになった。しかし人間の食べる量はたかが知れている。漁村では干して目刺しにしたり煮干しにしたり、懸命に保存加工食品づくりに励んだ。それでもなお余ったものは魚油を絞り、灯火として用いられた。魚油は臭いが菜種油は高いので、庶民家庭ではもっぱら魚油を灯したのである。怪談噺に行灯の油を舐める化け猫がよく出て来るが、むべなるかなである。魚油をとったあとの搾りかすは乾燥して乾鰯(ほしか)にした。これを肥料として田畑に鋤き込むと米が大豊作になったことから、おめでたい魚とされ、鰯の稚魚の干したものを「田作」とか「ごまめ(五万米)」と呼んでお節料理に加えるようになった。

 今や魚屋の店頭では養殖物や冷凍物が幅を利かせ、しかも遠い遠い深海の底で穫れた本名が分からない魚が売られる時代である。その中で鰯だけは近海で穫れ、しかも冷凍が利かない魚(鰯は冷凍すると食味が極端に劣化するため、フィッシュミール、飼料用に回すもの以外は冷凍しないのが普通だという)だから文字通り「鮮魚」で店頭に並ぶ。流通手段が進歩発展したおかげで、新鮮な鰯が都会に届くようになり、昔は九十九里浜など水揚げ地にしかなかった鰯の刺身がどこでも食べられるようになった。新鮮な鰯は実に旨い。その旨さを知る人が多くなったことも、鰯人気が高まった所以であろう。もう一つ、鰯には細胞の老化を防ぐRNA(リボ核酸)、DNA(デオキシリボ核酸)や、心筋梗塞や脳梗塞を予防するEPA(エイコサペンタエン酸)が他の魚よりも沢山含まれていることから、ますますもてはやされるようになった。

 日本近海の鰯の中で、代表的なものはマイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシの三種類である。マイワシは中でも最も代表的な鰯で、成魚は体長15センチくらい、時には20センチくらいになる。背中は濃い藍色で腹部は銀白色、体側に7つくらい黒点が並んでいるので「七つ星」とも呼ばれ、素人でも判別できる。サンマ同様、焼くと煙がもうもうと立ち上がるが、この塩焼きが一番おいしい。新鮮なものが手に入ったら、三枚におろして酢締めにすれば言うことはない。胡椒とガーリックをちょっと利かしてトマトあるいはトマトソースで煮込んだのもいい。

 カタクチイワシは上顎が下顎より長く、下顎にかぶさるようになっているので「片口鰯」という名前がついた。マイワシ同様、煮付けでも塩焼きでもいける。これの小さいのを東京辺ではシコイワシとかヒコと言い、安い鰯の中でも一段と安い。しかし安い下魚なんぞと馬鹿にしたら罰が当たる。少々手間がかかるが、この小さいやつを一匹ずつ指先で開き、できるだけ丁寧に骨から身を引きはがすように取り、すり鉢に入れる。これをごりごりと根気良く擂り身にしてショウガ汁を入れ、団子に丸めたものを味噌汁に落とし入れ、刻み葱をちらして熱々の所をすする。

 味噌汁でなく、鰯団子(つみれ)を鍋の熱湯に落とし、浮き上がってきたものを刻み葱とポン酢醤油で食べるのもいい。酒がいくらあっても足りない。また、鍋に出し汁と酒を張り、醤油を香りづけ程度にたらして火にかける。沸騰してきたら、あらかじめ湯がいておいた銀杏切りの大根や、葱、水菜などと一緒に鰯団子を入れれば、即ち「つみれ鍋」。晩秋から冬の夜が一段と豊かになる。

 カタクチイワシの生まれたてがシラスであり、さっと熱湯に潜らせて干しあげたのがシラス干し、穫れたてを四角な海苔のような形に広げて干し固めたのがタタミイワシである。田作もカタクチの煮干しの上等品である。

 ウルメイワシはその大きな目が脂瞼という脂肪の膜で覆われているため、潤んでいるように見えるところから名付けられた。主に関西以南で多く穫れ、成長するとマイワシより大きい体長三十センチほどにもなる。マイワシやカタクチほど脂肪分がないため、味が淡白で、そのまま煮たり焼いたりしたのでは物足りない。

 ところがこれを丸干しにしたり、開きにして干物にすると、得も言われぬ滋味が生じる。土佐のうるめの丸干しは絶品である。10センチほどの幼魚を乾燥機でなく本物のお日さまに当てて、少し堅めに干しあげたものがことに旨い。しかし最近は土佐あたりでのウルメの水揚げが昔ほどではなくなったせいか、こんな手間ひまのかかる丸干しの作り手が減ったせいか、上等のうるめ干しは東京のデパートでは一尾あたり200円くらいもする。

 鰯は海中のプランクトンを食べて成長し、生まれた直後はもちろん成長した後も、大きな魚やクジラの餌になる宿命を負っている。クジラ、サメ、マグロ、カジキ、カツオ、サバ、トビウオなどは鰯が大好物である。だからカツオの一本釣りでは生きているカタクチイワシを撒いてカツオを寄せる。

 とにかく他の魚の餌になるために存在しているような魚だから、母イワシが一回に生む卵は8万粒にものぼるという。鮭のはら子(いわゆる筋子)を見て、そのつぶつぶの多さにびっくりするが、あれで3500粒程度だというから、鰯の8万粒というのは想像を絶する。しかもこれが孵って、無事成魚になれるのは10尾程度なのだそうである。生存率0.01%、まさに悲しい弱い魚である。

 鰯は江戸時代の句にもずいぶん詠まれているが、季語として確立したのは天明期以降らしい。あまりにもありふれた魚だったためであろうか。現代俳句ではその庶民性を詠ったものと同時に、大量に水揚げされ、競りにかけられ、スコップですくわれたりと、その「量」を詠んだものが目に付く。

 鰯は秋が旬なので秋の季語になっているが、ウルメイワシばかりは「丸干し」の印象が強いせいか、冬の季語とされている。作句上注意すべき点であろう。


  蜑の家は砦構へに鰯干す   鈴鹿野風呂
  海光の一村鰯干しにけり   日野草城
  うつくしや鰯の肌の濃く淡く   小島政二郎
  掬ひ出す船の鰯の無尽蔵   右城暮石
  鰯汲む夜は妻子も脛ぬらす   佐藤鬼房
  鰯食ふ大いに皿を汚しては   八木林之助
  海光をあつめて糶の鰯樽   渡辺恭子
  汽車海に沿ひゆくかぎり干鰯   大橋櫻坡子
  九十九里見ゆる限りは鰯引   松藤夏山
  鰯炊きおり良き母の心地せり   津波古江津子
  骨に指添はせて捌く鰯かな   赤澤新子

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