俳句では8月8日頃の「立秋」から、11月7日あるいは8日の「立冬」の前日までを「秋」としている。しかし「初秋」の8月はまだ暑さの厳しい日が多く、気分としては夏で、とても「秋が来たなあ」という感興に浸る余裕など無い。9月は「仲秋」で、ようやく秋の感じが強まり、10月の「晩秋」で本格的な秋を満喫する。そして11月上旬、まだ紅葉の便りもないのに、俳句歳時記はもう「冬」を告げる。
このあたり、日常感覚とはどうも1ヶ月ほどずれているような感じがする。しかし、これが俳句という伝統文芸の約束事なのだから仕方がない。最近、これはおかしいと言う人が声を大にして、「秋は9、10、11月とする」と提唱している。実作上はこれで結構だが、古句を鑑賞する場合はどうするか。何でも機械的に現代流に合せてしまっては、いろいろな点で不具合が生じ、連綿と続く俳句の伝統の糸を断ち切ってしまうことになりはしないか。
8月に入って立秋になったら、たとえ暑かろうとも、秋になったのだと覚悟を決めて、秋の句を詠めばいいのである。と言うと何だかやけになっているみたいだが、そんなことはない。時にはこうして開き直ったり、少々粋がって、ひと様に先んじて季節の変化を感じ取ったふりをするのも、俳句をやろうかという人間には大切なのである。俳聖と言われる芭蕉だって、この点では同じようなもので、ずいぶん無理をして粋がっている。
『あかあかと日は難面もあきの風』という有名な句がある。芭蕉が「奥の細道」の旅で金沢にたどりついた頃に詠んだものである。元禄2年3月27日(太陽暦で言えば1689年5月16日)に江戸を立ち、約3ヶ月半、きつい道中を重ねて7月15日(同8月29日)に金沢にやって来た。まだまだ暑い。しかし、大宗匠たる者、金沢句会では秋の句とはこういうものだと示してやらねばならない。たとえ身は汗みづくのよれよれになっていようと、北陸で自分の来るのを待っていた人たちに、古格を踏まえたしゃんとした句を見せてやろう。芭蕉のそんな気概がうかがえる句である。
この「難面も(つれなくも)」という言葉は、今日では「あら、つれないのね」などと多少艶っぽい場面などで使われることが多いが、この句が詠まれた時代は「素知らぬ顔で」くらいの意味で使われていたらしい。従ってこの句は、「秋になったというのに、お日様はそんなこと知らぬ顔で、相変わらずカンカン照りつけてくる。しかしさすがに風は秋のものだなァ」という意味になる。
何の難しいところもない、さりげない句だが、これは古今集の有名な歌「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(藤原敏行)を踏まえている。こうしたことを、句を詠む方も、また読む方も心得ていて、感心したりされたりする。この当時の俳諧の座というものの文化的水準はかなり高かったようである。
この句からも分かるように、俳句では季節変化に敏感であることが非常に重要視されている。特に和歌以来の伝統で、「春」と「秋」は最も大切な季節であり、俳人は冬の頃から春を、夏の頃から秋を詠もうと心がける。季節の移り変わる兆しをいち早く発見し、詠み込もうと必死になる。変化の兆しについて、単に説明したり理屈をこねたりでは句にならない。風や雨や陽射しの変化や、植物の芽吹きや葉の色の移り変わり、魚をはじめとした旬の食物など、身の回りのありとあらゆるものを見つめて、その時の自分の気持にぴたりと合うものを取り上げ、句に仕立てる。
そういう季節を感じさせる言葉、多くの人が季節の特徴を表す言葉として共感できるものが「季語」として定着していった。今ではそれが積み重なって、4000とも5000とも言われる数になり、「歳時記」としてまとめられている。
芭蕉もこうした「季のことば」をとても大切にしていて、いやしくも俳諧の道を志す人間なら新しい季語の一つも生み出そうという心がけが肝心だという意味のことを言っている。芭蕉の頃には既にいくつかの季語を集めた「季寄せ」の類いは出ていたが、まだまだ十分ではなく、多くの場合、宗匠や先輩からの口伝で学んだり、古今、新古今を初めとした古歌や漢詩から引くなど、いろいろ苦心したようである。そういう時代から、既に「秋」は重要な「季のことば」つまり季題とされていた。
昔から俳句で秋を詠む場合に心にとめておくべきものとして、「もの思ふ秋」ということがあった。「もの思い」「憂愁」「寂しさ」である。新古今集に有名な「三夕の歌」というのがある。
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行
さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
いずれも「もの思ふ秋」が主題であり、特にもの思いを強く誘う「秋の夕暮れ」を題材にしている。
ぎらぎらと照りつけていた夏の太陽も、九月に入るとだんだんと日射しを弱め、やがて急速に力を失ってゆく。日照時間も日を追うごとに短くなる。夕方の風などは時として肌寒いくらいになる。蝉も最後の力を振り絞っているようだ。山の色も徐々に変わっていくようである。
こうした環境に身を置くと、誰でも何か考え事をするようになる。というわけで、秋と言えば「もの思ひ」がつきものとされるようになった。そして今では「秋思」という、とても人気のある季語が独立している。
「秋」という大きな季語が枝分かれして、今日ではおびただしい季語が生まれている。まず「立秋」「秋めく」「初秋」「中秋」「秋分」「晩秋」といった時期的に区分した季語がある。また、秋は他の季節に比べて、朝から晩に至る一日の変化の度合いが著しいせいか、「秋の日」と大きく括った季語のほかに、「秋の朝」「秋の昼」「秋の暮」「秋の宵」「秋の夜」とすべてが季語とされている。
秋は空気が爽やかになるところから「秋澄む」とか「秋気」「秋色」という季語もある。晩秋になるといよいよ物思いも深くなり、「秋深し」「秋寂ぶ」「行く秋」「暮の秋」「秋惜しむ」といった季語が主役になる。
さらにいろいろな言葉に「秋」を冠した季語も非常に多い。「秋晴れ」「秋高し」「秋の空」「秋の雲」「秋の声」「秋の星」、そして秋は天気が変わりやすいから「秋曇」「秋の雨」「秋霖」「秋の村雨」などもある。もちろん「秋の山」「秋の川」「秋の水」「秋の海」「秋の浜」「秋の潮」もあるし、「秋の宿」「秋扇」「秋の炉」などという季語も立てられている。
農業国日本にとって秋は収穫の喜びを感じる季節でもある。豊かな実りを神に感謝する「秋祭」もあれば、麦や春野菜を蒔く準備の「秋耕」という独特の季語もある。俳人は可憐な「秋草」にも眼を転じ、そしてまだ頑張っている「秋の蝉」や「秋の蝶」をもしっかり見つめる。
ただ「秋」と言わずに「素秋」「白秋」「金秋」と詠むこともある。「素」も「白」も同じ意味で、何の着色もしていない「白い」ということである。古代中国で四季を色で現し、春は青(緑)、夏は赤(朱)、冬は黒とされたのに対し、秋は白とされた。金秋というのは陰陽五行思想から出たもので、秋は木火土金水の五元素のうちの「金」(金属)が支配する季節であるということから名付けられたものである。白秋も金秋も爽やかで、やや厳しさ、寂しさを感じさせる季節感を強調するような場合に用いられる。
此の秋は何で年よる雲に鳥 松尾芭蕉
身の秋や今宵をしのぶ翌もあり 与謝蕪村
柴の戸の空見ゆる秋の寝覚かな 小林一茶
旅の秋病むとしもなく疲れけり 大谷句仏
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
瀬の音の秋おのづからたかきかな 久保田万太郎
彼の女今日も来て泣く堂の秋 河野静雲
秋の航一大紺円盤の中 中村草田男
飛鳥路の秋はしづかに土塀の日 長谷川素逝
槙の空秋押移りゐたりけり 石田波郷
身の秋やねぎごともなき神詣で 高橋淡路女
天地ふとさかしまにあり秋を病む 三橋鷹女