蜩(ひぐらし)

 蝉は夏の季語だが、「蜩」と「法師蝉」だけは秋の季語とされている。これ以外に比較的暖かい地方の松林に四月中旬に現れる「春蝉」というのもいる。

 立秋が過ぎて八月も中旬になり朝夕涼しい風が吹く頃になると、カナカナカナと鳴くヒグラシの声が耳につく。日中は法師蝉(つくつく法師)がオーシーツクと盛んに鳴く。この二つの鳴き声がして来ると、いよいよ秋だなあとほっとする一方で、なんとなくうら寂しい感じにもなる。だんだんと日が短くなるのが分ってきて、さなきだに気がせくような感じになっているところへ、カナカナ、カナカナカナとやられると追い立てられるような気になる。蜩の声が印象的なのは日暮れ方だが、山の宿などにいて夜明け頃から早朝に聞く蜩もまた特別な感興を催す。その独特の鳴き声を愛でて「かなかな」とも詠まれることが多い。

 蜩はとてもきれいな蝉である。体は黒褐色に緑の斑点が入り、背中や腹は半透明で、羽根も透き通っている。いかにも涼しげな姿をしている。特にその澄んだ鳴き声が心地よいせいか、万葉集の時代から盛んに詠まれ、もちろん俳句でも人気がある。

 万葉集の巻十に秋雑歌として「ゆふかげに来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも」(夕方になるとやって来る蜩はこれでもかとばかりに鳴くが毎日聞いても名残尽きない声だなあ)と蜩の声を賛美した歌がある。一方、同じ巻十の夏雑歌に「黙然(もだ)もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな」(黙っていてもらいたい時にも鳴いてしまう蜩なんだからこうして物思いにふける時こそ鳴いておくれ)というのがある。してみると万葉時代は蝉と言えば蜩が代表選手であり、しかも夏秋通しての歌材だったようである。実際、蜩は山間部などでは六月下旬頃から鳴き始める。

 古今集になると「ひぐらしの鳴く山里の夕暮は風よりほかにとふ人もなし」(二〇四、詠み人知らず)というように秋の景物として取り上げられるようになり、以後、俳諧でも秋のものとして分類されるようになっていった。やはり蜩のあの涼しげな、ちょっと淋しさを誘うような声が秋にふさわしいと考えられたからであろう。


  蜩のおどろき啼くや朝ぼらけ    与謝 蕪村
  日ぐらしや急に明るき湖の方    小林 一茶
  蜩や夕日の里は見えながら     正岡 子規
  かなかなの鳴きうつりけり夜明雲  飯田 蛇笏
  ひぐらしや熊野へしづむ山幾重   水原秋櫻子
  ひぐらしに燈火はやき一と間かな  久保田万太郎
  ひぐらしが啼く奥能登のゆきどまり 山口 誓子
  蜩やどの道も町へ下りてゐる    臼田 亜浪
  ひぐらしや人びと帰る家持てり   片山 桃史
  川明りかなかなの声水に入る    井本 農一

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