櫟、楢、水楢、柏などブナ科の落葉樹の実を言う。樫やマテバシイなど常緑樹にも同じような実が成り、通常これもドングリと呼んでいる。
茶色の固い殻におおわれた紡錘形あるいは丸い実で、お椀の形をした殻斗を帽子のように被り、枝にぶら下がっている。熟すと木から落ち、殻斗もはずれてころころと四方に転がる。「団栗ころころどんぐりこ」の童謡で、昔の子供たちは秋になると懸命にドングリを拾っては心棒を刺してコマをこしらえた。
団栗の団は丸いという意味だから、「丸い栗」ということになる。しかし、団栗は栗のように甘くはなくて、ものすごい渋味があって、とてもそのままでは食べられない。実をよく搗いて水にさらし、取り出した澱粉で団栗餅を作る。昔は飢饉の時の救荒食料として用いられた。あまり旨いものではないが、素朴な味わいがあり、今では地方の観光地ではわざわざお土産用に作っている。
櫟や楢は昔は木炭の材料として重要な木材だった。日本中ほとんど至る所の里山に生える樹木だから、人びとにとって親しみ深い木でもあった。晩秋になるとこれらの木々の葉は黄色に色づき、楓の紅葉とともに野山を彩った。その実である団栗は、それこそ掃いて捨てるほど成り、子供の玩具になり、鹿やリスや熊や猿の貴重な餌になった。このように馴染深いドングリは、その形の愛嬌たっぷりなところが好まれて、古くから俳句の材料にも取り上げられた。
ところが日本中開発が進んで、里山は住宅地や工場として潰され、さらに奥の山では有用木材資源である杉や檜を植林するために、団栗の成る木はどんどん伐採されてしまった。かくて食物不足に陥ったケモノたちは、やむなく人里に降りて来る。好き好んで人間を脅かそうと出て来るわけでもないのに、凶悪犯人扱いされて射殺されてしまう。
大人たちはもう炭を焼くことをせず、子供たちは団栗独楽で遊ぶことを忘れてしまった。かくて「団栗の背比べ」と言っても理解できない若者が増え、「団栗まなこ」という表現もすっかり古臭くなった。どんぐりはころころと転がっても、もはや嵌まる池も埋立てで姿を消してしまっている。
団栗の寝ん寝んころりころりかな 小林 一茶
団栗や倶利迦羅峠ころげつゝ 松根東洋城
団栗の己が落葉に埋れけり 渡辺 水巴
子の帯を解けば団栗落ちにけり 矢部金柑子
どんぐりの落ちて来さうな露天風呂 滝 佳杖
どんぐり独楽いで湯の宿の卓に澄める 横山 房子
どんぐりが一つ落ちたり一つの音 細見 綾子
駆け足で老いへころがるどんぐりこ 山本 白雲
団栗溜めこんで長頭系の孫 安藤今朝吉