葡萄は世界で最も生産量の多い果物で、年間一億トンはくだらないだろうという。以前南オーストラリアのバロッサバレーというワイン生産地に行った時に、地元の農協みたいな所で聞いた話なので、うろ覚えだから確かなところは分からない。しかし、言われてみればブドウは生食だけでなく、干しブドウになって菓子に使われるし、それに何よりもワインの原料として用いられる量が膨大である。清酒の国日本ですら、ワインに押しまくられている始末で、今やワインは世界中で最も多く飲まれている酒であろう。紹興酒と白酒(マオタイ酒などの焼酎)一辺倒だった中国ですら、現在ではなかなかのワインを作るようになった。かくて葡萄は古代から現代に至るまで、果物の王者としての地位を保ち続けている。
葡萄は小アジアから中央アジアにかけての地方が原産の「ヨーロッパ種」と、アメリカ大陸が原産の「アメリカ種」に大別される。どちらも割に雨の少ない地域だから、汁気が多くて甘い葡萄は大昔から珍重されたらしく、既に青銅器時代には南ヨーロッパ各地、インド、アフリカ大陸北部にまで広まり、栽培植物になっていた。葡萄の実を生のままで食べるのと同時に、醗酵させて酒を醸すことも知り、ワインがたちまち酒の王となった。
小アジアの豊饒の神がギリシャ神話に取り込まれてディオニュソス(バッカス)になったのだが、ギリシャではこのバッカスが葡萄の木の発見者であり、ワインの発明者とされている。とにかくギリシャ人はワインを精神を豊かにする素だとして讚え、ローマ人はそれに輪をかけて鯨飲するようになった。そのためローマ軍が進駐する所には必ず葡萄の苗が植えられ、ワインはフランスからドイツなど北部ヨーロッパにまで広がった。
中国に葡萄が伝わったのは漢の武帝の時代(西暦前一四一-八七)で、西域に派遣された張騫が持ち帰ったものとされている。日本には中国経由で奈良時代に伝わった。
日本の葡萄としては「甲州葡萄」が有名だが、文治二年(一一八六年)、雨宮勘解由という人が現在の山梨県勝沼町の辺りで、中国からもたらされた葡萄の苗を育て増やしたものだという話が伝わっている。いや、中国からのものではなく、地元に自生していたエビヅルという蔓草を改良したのだという話もある。確かに日本の野山には大昔からエビヅルとかヤマブドウというブドウ科の蔓性植物があり、これも秋になると房状の小粒のブドウのような実をつける。食べると甘酸っぱい。これを改良して大粒が成るようにしたという説も、無下に退けるわけにはいかないが、今我々が食べている甲州葡萄はいわゆるヨーロッパ種で、ずっと後に輸入された苗を山梨の土地に合うように品種改良したものとみるのが妥当なようである。
葡萄は多湿を嫌う。水はけの良い、砂礫地帯によく育ち、おいしい実をつける。日本のように雨ばかりの国ではうまく育たず、すぐに病害虫にやられてしまう。特に良質のワインの原料となるヨーロッパ種の葡萄が多湿に弱い。そんなところから長いこと日本ではいいワインができなかった。最近は品種改良が進み、農薬もふんだんに使うようになったので、いい葡萄も栽培できるようになり、従って日本産ワインも捨て難い味のものが出てくるようになった。しかし、ほっぽらかしでも素晴らしい葡萄が実るオーストラリアやカリフォルニア、南米などでは、日本とは比較にならぬ低コストで葡萄が出来るから、それで作るワインも品質優良かつ低価格である。
酒というものは、その土地で生まれたものをその土地で飲むのが一番うまい。酒の味は七割方は原料の良し悪し、二割くらいが気候風土で決まる。残る一割は飲み手のその日の体調と気分、そして飲む場所である。だからこそ日本酒は日本の酒どころで醸したものが一番上等で、日本で飲んでこそ旨い。いくら日本に負けない米が出来るようになったとは言え、カリフォルニアやオーストラリアでできた日本酒はもう一つである。ワインだって同じことである。だから何も日本はむきになってワインまでよその国と張り合うことはないと思う。
それよりも生食用の素晴らしいものに精出してもらいたいと思う。いくら冷蔵コンテナで空輸する術が発達しても、生食用はまだまだ国産の取れたての方がうまい。しかし、ここからが日本の農家のいけない所なのだが、いたずらに見てくれの良いものばかりを作ろうとする。マスカットとか巨峰とか、それらの改良品種など、日本でもとても美味しい生食用葡萄が作れるのだが、房の付け根から先の方まで同じ大きさの粒が揃っていなければならないとか、粒の脱落が無く、どこから見ても完全な円錐形の房になっていることとか、くだらないことばかりが評価の対象になる。その結果馬鹿高いものになって、「お見舞い用」など高級贈答品としてしか売れない値段になってしまう。味も何も判らなくなった病人の枕元を飾るだけの代物ではマスカットも巨峰も泣くだろう。
葡萄はかなり昔から日本人にもなじみの果物で、俳句にも古くから詠まれている。葡萄には「エビ」という古名があるが、これは海老の髭のような蔓を伸ばしながら大きくなっていく木なので、こう呼ばれるようになったとの説がある。そしてこの葡萄の古語からエビ色、エビチャ色という言葉が出たという。女子大生が卒業式にはく袴の色は赤紫なのに、どうして「海老茶色」と言うのか不思議でならなかったが、これは海老茶ではなく、「葡萄茶」と書いてエビチャと読んでいたものらしい。海老茶色とはブドウ色のことだったのである。
「雫かと鳥もあやぶむ葡萄哉 千代女」「掌に愛して見する葡萄かな 太祇」「後の月葡萄に核の曇哉 成美」「黒葡萄天の甘露をうらやまず 一茶」などの句を読むと、いずれも葡萄の実のみずみずしさ、はちきれそうな弾力、干天に慈雨のような味わいなど、葡萄そのものを見詰めて作った句が多いようである。現代俳句もこうした流れを受け継いでいるようで、葡萄の句は見た目にせよ食べるところにせよ、いわゆる写生句が多い。紫、薄紫、黒、淡緑色と鮮やかなその色と、房成りになった特異な形状、滴る果汁、つまんで口に持っていき、つるりと皮を剥いて吸い込むと同時に口中に広がる甘酸っぱさ、葡萄はこうした所を丁寧に詠めば句になるというたちの果物のようである。
黒きまで紫深き葡萄かな 正岡 子規
八ケ岳むらさき頒けし葡萄かな 久米 三汀
山雨来る雲の中なり葡萄摘 水原秋櫻子
亀甲の粒ぎっしりと黒葡萄 川端 茅舎
葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男
朝刊を大きくひらき葡萄食ふ 石田 波郷
原爆も種無し葡萄も人の智慧 石塚 友二
葡萄一粒一粒の弾力と雲 富沢赤黄男
集まりて知恵ある者ら葡萄吸う 鈴木六林男
マスカットひとつぶごとのひまつぶし 田中 幸雪