ばった

 バッタという昆虫はなかなかしぶとい生物で、東京、横浜あたりの大都会でも、空地に少しでも雑草が生え出すと、どこからともなく現れて来る。全世界にはおよそ7500種類ものバッタがおり、日本にはトノサマバッタ、オンブバッタ、ショウリョウバッタ(キチキチバッタ)、イナゴなどざっと50種類がいる。都会の空地や家庭菜園にいるのはオンブバッタやトノサマが多い。

 稲が大好物で、これがはびこると米の収穫に大打撃を与える。そこで昔の田舎では、学校から帰った子どもたちの夏から秋にかけての一番重要な仕事が、田畑に出てイナゴやバッタを捕まえることであった。ことにイナゴは食用とされたから、袋を持った子どもたちが盛んに追いかけた。近頃の田圃は農薬を撒くからイナゴもさっぱり姿を見せなくなり、子どもたちの遊び半分のイナゴ採り風景も過去のものとなった。

 草原にキチキチキチという音を立てて飛ぶショウリョウバッタや、それよりやや小型で、メスの上に小さなオスがしがみついているオンブバッタは今でも健在である。淡緑色の細長い身体で、長い2本の触角と強い後ろ足を持ち、秋の草原を歩いていると人の肩の上に止まったりする。トノサマバッタはずんぐりむっくり、角張った体つきで、頭部はつやのある緑色で背中や腹が茶色。体つきは近縁のイナゴやキリギリスに似ている。これも盛大に飛び、飛ぶ時にはたはたという音を立てる。

 適度な湿り気があって草が生い茂る所にいるバッタは緑色になり、乾燥して枯れかかったような貧弱な草しかない荒れ地のバッタは褐色になるという説がある。しかし、バッタはカメレオンのように置かれた場所に合せて変色するわけではなく、もともと環境に応じて棲息する種類が異なり、それぞれが生まれつき周囲に合った体色をしているようである。十分観察したわけではないので確かなことは分からないが、子供の頃、いろいろなバッタを掴まえて手製の大型の水槽を改造した飼育箱で飼ってみた経験からすると、途中で色変わりするようなことはなかった。どうもそれほど器用な生き物とも思われない。ただやたらに葉を食べる図太い虫という印象を受けた。

 「蝗害」という言葉は最近の日本ではあまり聞かれなくなったが、中国、アフリカ各地などでは今日でも毎年のように発生している。バッタが何かの拍子で大量に発生し、高密度になると、塊になって飛行移動し通過地域の草木を食い尽くす。これを飛蝗(ひこう)と言い、襲われた地域はあらゆる農作物が壊滅的打撃を受けて飢饉が発生する。

 このようにバッタは農作物に害を為す虫だから、本来は嫌われてしかるべきなのだが、その割にはあまり憎まれない。なんとなくユーモラスな感じのする虫だからだろうか。これが出盛りになると、いよいよ秋だなあという感じになる。

 俳句では「きちきち」「はたはた」と詠まれることも多い。漢字では「虫偏に奚」という字と「虫偏に斥」という字でバッタと読ませるが、今時このような字を書いても誰も読めないし、パソコンでは漢字変換しようにも出て来ない。したがって最近では平仮名かカタカナで詠む人が多くなっている。

 ちなみに漢字の「蝗」はイナゴである。あのちっぽけな虫が虫の王様とは誇大表示のようだが、大群で押し寄せ瞬く間に田畑を全滅にしてしまう無気味さを恐れた昔の人たちが、そういう尊称を奉り「どうぞ我が田だけはお見逃しください」と祈った証しかも知れない。しかし今や、蝗もバッタも恐ろしい人間によって農薬攻めにされ、棲息場所をどんどん狭められている。バッタという漢字が書けなくなったばかりか、本物のバッタを見たことがないという人の方が多くなる世の中になりそうである。


  はたはたや遠く小さき放ち駒   松根東洋城
  きちきちといはねばとべぬあはれなり   富安風生
  はたはたも靴の埃もたのしけれ   石田波郷
  はたはたはわぎもが肩を越え行けり   山口誓子
  ばった跳ね島の端なること知らず   津田清子
  橋立の日の斑蹴り上げばった跳ぶ   竹中碧水史
  きちきちばった風に産れて貌小さし   細谷源二
  ばったとぶ後肢の力ひびきけり   榎本一郎
  肩書なしはたはたにとび越されいて   稲井 優樹
  ばった跳ぶつぎの地面はうわのそら   富樫均

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