朝顔(あさがお)

 東京・入谷の朝顔市が毎年7月上旬に開かれ、それが必ず新聞やテレビに取り上げられる。そのせいか俳句を長年やっている人まで朝顔を夏の季語だと勘違いする。しかし朝顔市に出すのは特別早く咲くように仕立てたもので、元来、朝顔は旧暦7月、現在の8月以降に咲くものであり、れっきとした秋の花である。

 朝顔は熱帯アジア原産の一年草で、日本には奈良時代末期に唐あるいは百済から持込まれたようである。中国では朝顔を牽牛(けんご)と言い、その種子(牽牛子)を下剤、利尿剤として用いた。日本にも最初は薬草としてもたらされたらしいが、平安時代になると観賞用としても栽培されるようになった。

 もともとの朝顔は青一色だったが、江戸時代中期以降、特に文化文政頃(1804─30)に朝顔栽培がブームになり、品種改良競争が起って、現在のような赤、ピンク、茶色、紫などいろいろな花色が生まれ、「尺咲き」と称する大輪朝顔や、花弁や葉が細かく裂けたり縮れたりする「変化咲き」が現れた。

 2回目の朝顔ブームは幕末の嘉永年間(1848─54)で、江戸・入谷には成田屋留次郎という名人を筆頭に朝顔師という集団が生まれるほどになった。この時は珍奇な花や葉を愛でる「変化もの」が全盛だった。この頃の江戸市民の間での朝顔熱は物凄かったらしい。何しろ東京湾に黒船が入って来て大騒ぎしているというのに、それをよそに朝顔マニアの江戸町奉行が品評会をやって物議をかもしたという話が残っている。

 3度目のブームは明治維新の混乱が収まった明治10年代後半から大正の震災までで、明治35年頃がピークだった。この時は相変わらず変化朝顔が横綱の地位を保っていたが、一般愛好家の興味は大輪朝顔に移っていた。文化文政頃には「大輪」とか「尺咲き」とは言っても直径四寸(約12センチ)くらいだったようだが、明治中期には7寸を越える巨大輪が出現した。

 当時は政府の富国強兵、殖産振興策を受けて商工業が発展し、にわか大尽の成り金が登場、地方の困窮をよそに東京大阪など大都市だけは好景気を謳歌する時代だった。そういう時代意識を反映して、朝顔も繊細巧緻を競う「変化もの」から豪華さを誇り合う「大輪咲き」に変っていった。こうした一種のバブル景気を背景に、あでやかな大輪朝顔や妖艶な変化朝顔の鉢をこれでもかと並べた入谷の朝顔市が大勢の人出をあおり、「入谷の朝顔市」が東京名物として定着した。しかし、今日では朝顔はその可憐さや清楚な美しさが愛されており、あまりにも不自然で大きな大輪朝顔や変化朝顔は勢いを失い、ごく限られた好事家の間で栽培されているに過ぎない存在になっている。

 とにかく、千数百年前に大陸から伝わった朝顔は日本で改良に次ぐ改良を加えられ、「ニホンアサガオ」という園芸固定品種にまで成長した。まさに「朝顔王国ニッポン」であり、朝顔という植物は日本固有のものと思っている人も多い。

 ニホンアサガオの仲間には熱帯アメリカ原産のアメリカアサガオ、マルバアサガオがある。どちらも明治時代に輸入されたものだが、日本の朝顔に比べて花が地味で見劣りするくせに、蔓が旺盛にはびこり葉が繁る。そんなところから長い間あまり珍重されずに放置されて来た。ところが、アメリカアサガオは昼過ぎまで咲いているし、丈夫で濃緑の葉を盛んに繁らせるから、近ごろ流行のガーデニングにもってこいというわけで、バルコニーなどに這わせる草花として見直されている。

 詩歌と朝顔の関係は平安時代から始っている。山上憶良が「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 萩の花尾花葛花なでしこが花をみなえしまた藤袴朝顔が花」と詠んでいるが、この万葉時代の「朝顔」はキキョウあるいはムクゲだとされている。その頃の朝顔はまだ薬用植物として大切に栽培され、野原で勝手に咲いているようなものでは無かったのではないかというのである。

 それが平安時代、古今集あたりから今日の朝顔が盛んに登場して来る。太陽が昇ると共にしぼんでしまうところから、「はかなきもの」の象徴となって源氏物語の巻名や登場人物の名前になったり、枕草子にも取り上げられるようになった。江戸時代の俳句には「蕣」と書いて「あさがほ」と読ませる例が多い。旧暦七夕の頃に咲く花なので「牽牛花(けんぎゅうか、けんごか)」、毎朝次々に咲くので「朝な草」という呼び名もある。

 なお、注意しなければならないのは冒頭にも書いたように「朝顔」は秋の季語だが、「朝顔市」は夏の季語だということである。朝顔市は東京入谷の鬼子母神境内を中心に毎年7月6日から8日まで開催される行事だから「夏」、しかし本来、朝顔の咲く季節は旧暦七夕の頃、今の暦で言えば8月以降なので、花そのものは「秋」ということになる。

 もちろん旧暦時代はどちらも秋の季語だったが、七夕が新暦7月7日となり朝顔市もそれに合わせて開かれるようになったため、季語分類上、季節が食い違ってしまった。

 ただ、近ごろは朝顔の蔓をからませる垣根や十分な広さの庭が減っているせいか、もっぱら鉢植えの早咲き朝顔に親しむ人が多い。また、品種改良が進んだことや、地球温暖化の影響もあるのだろうか、露地栽培でも7月に咲く朝顔が増えている。それやこれやで朝顔を夏の季語に分類する歳時記が出てきた。まあ気分としては夏の早朝の朝顔に惹かれるところがあり、ここいら辺で「朝顔は夏の物」と決め、「季語のねじれ現象」を解消するのも悪くはないなとも思う。


  蕣や昼は錠おろす門の垣   松尾芭蕉
  朝がほや一輪深き淵のいろ   与謝蕪村
  朝顔の紺の彼方の月日かな   石田波郷
  朝顔に喪服のひとのかゞむかな   瀧井孝作
  朝顔に雨戸すかして二度寝かや   阿部みどり女
  朝顔よく咲く凡医に足りて働けば   新明紫明
  朝顔やすでにきのふとなりしこと   鈴木真砂女
  朝顔に矢竹継ぎ足す瑞巌寺   柏原眠雨
  藍染を干す朝顔の近くまで   田中信義
  朝顔に子の早起きは二日ほど   千才治子

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