傍題として銀河、銀漢、雲漢、天漢、河漢、星河、銀湾などがある。無数の恒星の集まりが大空を帯状に取巻き、天球を一周している。銀砂子をまいた川のように見えるところから「天の川」と言った。英語ではmilky way(ミルキーウエイ)とか galaxy(ギャラクシー)と言って、やはり古くから歌などにうたわれている。洋の東西を問わず、人間は昔から壮麗な銀河を見上げてはロマンチックな気分に浸っていたようである。
天の川は一年中夜空にかかっているのだが、春は地平線に沿うように現れるから見えにくい。夏も深まる頃から中天にさしかかる。特に秋は空が澄んで来るので良く見えるようになる。天の川が最も印象深く見えるのは秋ということで、秋の季語になったようである。
しかし最近の東京あたりの夜空は、「ライトアップ」などという馬鹿なことをやる人間が多くなり、それでなくても排気ガスで空気が汚れきっているから、折角の天の川も肉眼ではよく見えなくなってしまった。『ざくざくと鳴るかに近し天の川 渡辺水巴』という素晴らしい銀河はもう望めない。それでも八月後半以降、晴れた夜遅く、望遠鏡で天頂付近をぐるぐる見回すと、ぼうっと霞んだ中にキラキラ光る天の川が見える。
天の川を歌に詠む習慣は、やはり中国から入って来たようである。特に七夕伝説と結びついて、「万葉集」以来たくさん詠まれるようになった。と言うより、和歌では天の川を詠む場合、ほとんどが牽牛織女の七夕と関連づけて歌い上げるのが伝統とされてきた。ところが俳諧の世界では必ずしも七夕伝説とは関係なく、天の川の美しさそのもの、それを見上げた時の感動や驚きをうたうようになった。身の回りのものを見つめ、自分なりの発見を詠む、という俳人たちの心意気ということでもあろうか。
そして今日では、七夕の竹を飾る家も少なくなり、織姫、彦星の話などに興味を示す子供もあまりいなくなった。俳句の方でも、田舎に久しぶりに帰って夜空の美しさを再発見した感懐をうたうなど、天の川と七夕伝説は益々離れてゆくようである。
荒海や佐渡に横たふ天の川 松尾芭蕉
更け行くや水田の上の天の川 広瀬惟然
うつくしや障子の穴の天の川 小林一茶
北国の庇は長し天の川 正岡子規
別るるや夢一筋の天の川 夏目漱石
米提げてもどる独りの天の川 竹下しづの女
夜の散歩銀河の岸にそふ如し 井沢正江
天の川からさんさんと檜の香 宮坂静生
嬰生まるはるか銀河の端蹴って 小澤克巳
順番といふ死が見ゆる天の川 西川五郎