秋の暮(あきのくれ)

 秋の夕暮れのことである。もっともこの言葉は長い和歌の歴史や、俳諧の伝統の下で、秋が過ぎゆく時、つまり「暮秋」を意味する言葉としても使われてきた。平安時代には「秋の暮」は晩秋、冬に入ろうとする時節を意味するものとして扱われ、秋の夕方を指すには「秋の夕べ」「秋の夕ぐれ」などと詠まれていた。しかし、その当時でさえ「秋の暮」を秋の夕方を指す言葉として用いた歌がたくさんある。

 山本健吉は「もともと暮秋を意味したが、『秋の暮』の本意を『もののあはれ』とか『さびしさ』の極致として感じ取っているうちに、秋夕にも通じるようになったと見るべきで、云々」と書いている(講談社「日本大歳時記」)。そして、「今日では虚子が、『今は春の暮・秋の暮共に夕方の義と定めて置く』と言い、秋の夕暮として用いる人が多くなったが、この季語の長い歴史を考えれば、そう簡単に決定してよいかどうか」と疑問を呈し、一応秋の夕方を指す言葉として用いても、過ぎゆく秋の意味合いを内包している「両義にわたる曖昧な季語としておく方が妥当」だと述べている。

 実際、芭蕉などは「秋の暮」を山本健吉の言う「両義にわたる季語」として意識していたようである。「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」にしても、「此の道や行く人なしに秋の暮」にしても、確かに秋の夕方の景色ではあるが、初秋の明るくて爽やかな夕方ではなく、暮秋のもの寂しい夕方である。

 このように「秋の暮」の意味するところは複雑だが、これでは俳句を作るにあたって極めてややこしい。日本の俳句界の総元締を自負し、一種の家元制度を確立して有象無象を俳句の道に引きずり込み、俳句を立派な「産業」に育て上げた虚子にしてみれば、こんな曖昧模糊をそのままにしておくことは許されない。というわけで、「秋の暮」は秋の夕方のこと、秋の終は「暮の秋」と一刀両断にした。

 それはともかく、秋のもののあはれを最も強く感じるのが「夕暮」であることは間違いない。それを決定付けたのが、新古今集のいわゆる「三夕の歌」である。


 さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮  寂蓮
 心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮    西行
 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮     定家

 この三首が秋の暮の本意を余すところなく伝えているとして、それ以後の和歌、俳諧、俳句の作者たちに影響を与え続けてきた。一言で表せば「寂寥感」である。

 秋の夕暮は春の夕暮と全然違う。春ならばこれから「春宵一刻価千金」の夜の部が始まる。ところが秋ともなれば、日が落ちるとともに気温がぐっと低下して、どうも遊び心をそそるような雰囲気ではない。酒を飲むにしても、しんみりとした感じである。これからいよいよ厳しい寒さを迎えるという緊張感もある。どうしてもいろいろ物思いにふけるようになる。孤独感にも襲われる。

 「秋の暮」の俳句は秋の夕方の情景描写の裏に、大なり小なりこうした「寂しさ」と「物思い」の感じがつきまとっている。


  此の道や行く人なしに秋の暮       松尾 芭蕉
  岡釣のうしろ姿や秋の暮         宝井 其角
  秋の暮いよいよかるくなる身かな     山本 荷兮
  大きなる家ほど秋のゆふべかな      森川 許六
  大寺や素湯のにえたつ秋の暮       加舎 白雄
  秋の暮一人旅とて嫌はるる        夏目 漱石
  秋の暮水のやうなる酒二合        村上 鬼城
  秋の暮大魚の骨を海が引く        西東 三鬼
  百方に借あるごとし秋の暮        石塚 友二
  あやまちはくりかへします秋の暮     三橋 敏雄

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