「声」と言っても、人間や鳥獣の声というわけではなく、もともとは木の葉や秋草をそよがせ、あるいは巌頭を吹き過ぎる風が立てる音から出た言葉のようである。爽やかで、澄んだ音色だが、一抹の寂しさや、時には凄まじさも感じる。しかし俳句では、秋風の奏でる響きの方は「爽籟」という言葉に譲って、「秋の声」の方は風の音はもとより、秋の雰囲気を醸し出すあらゆる物音を含む、広い意味合いの季語として定着した。
言わば、秋を感じさせる「心に響く物音」である。だから、実際に耳で聞く音である場合もあるし、何か聞こえてくるような気がするということでもある。
つまり「秋の声」という季語は、広く「秋の気分」ととった方が良いようだ。欧陽修の「秋声賦」をはじめ漢詩から和歌に入って来た歌語で、連歌、俳諧へと受け継がれた。そのため今でも「秋声」と漢語のまま用いられることも多い。
このように秋の雰囲気を伝える「秋の声」という季語は三秋を通じてのものだが、用いられる時期によって、その意味合いが微妙に違ってくる。初秋の句の中で使われる秋の声は、「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今集、藤原敏行)の気持と同様、しのびよる秋の気配を指す場合が多い。中秋、晩秋の秋の声は、しみじみとした、あるいは紅葉したり枯れ色を見せる周囲の景色に触発されて、もの悲しさや寂しさを感じる気分で使われる。そして、時には野分のような強い風の音に凄みを感じたりもする。
秋の雰囲気を表す季語には、「秋色」「爽やか」「秋澄む」「冷やか」「冷まじ」「秋意」などいろいろある。天高く、大気は澄み、気温も下がって来る。万物旺盛な夏から、すべてが鎮静する季節に変わり、それと共に人は多かれ少なかれ物思いにとらわれるようになる。「秋思」にも連なるものであり、秋の季語に通底する気分である。ことに秋は空気が澄み切って物音がよく通るようになる。実際に耳で聞く音、心の耳で聞く音無き音をひっくるめて、秋を感じ、さまざまの想いに身をゆだねるというのが、「秋の声」の本意であろう。
帛を裂く琵琶の流れや秋の声 与謝蕪村
暮れ行くや鼓ケ浦も秋の声 高桑闌更
擲てば瓦もかなし秋のこえ 大島蓼太
灯を消して夜を深うしぬ秋の声 村上鬼城
北上の渡頭に立てば秋の声 山口青邨
寺掃けば日に日にふかし秋の声 中川宋淵
秋声を聴けり古曲に似たりけり 相生垣瓜人
秋声に聞き入るさまの伎芸天 石原八束
三輪山に秋声しのび入るごとし 佐藤鬼房
秋の声振り向けば道暮れてをり 豊長みのる