ヨットという言葉はもともとはオランダ語で、16世紀末に生まれた快速帆船jaght(ヤハト)が元になっている。大型の船と陸地との連絡用などを目的に使用されていたものが、帆走を楽しむスポーツ、遊覧用になり、17世紀半ばに英国に伝わって貴族の遊び用として「ヨット」と呼ぶようになった。イギリス、オランダ、フランスは海を隔てて向い合い、時には喧嘩したり仲良くなったりの付き合いであり、貴族は親戚同士というものも多い。こうした趣味もたちまち共有することになる。
時を経て、船体も小型のものから大型のものまで、さまざまの形が生まれ、帆走船だけでなく機関によって推進するものもできた。イギリス王室のブリタニア号は帆などは無くて、蒸気機関で外洋航海(クルージング)し、立派な船室を備えた「汽船」なのだが、これもヨットと呼んでいる。欧米では帆があろうが無かろうが、レジャー、スポーツ目的の船はひっくるめてヨットと言う。
シドニーに住んでいた時に知り合ったオパール鉱山を持っている大金持が、ヨット遊びに招いてくれた。自宅の庭先がシドニー湾に面しており、専用の船着場に大型のモーターボートが繋留してあった。船内は広く、横長の20畳くらいの広間がある。それまで私は、ヨットというのは数人乗りのスポーツ帆掛舟だと思い込んでいたから、「これはヨットではなく、大型のモーターボートではないか」と思わずつぶやいた。すると、「そう、モーターボートとも言うが、それは走らせ方を言う言葉で、この舟もヨットなのだ」と教えてくれた。もちろんこのオジサンは1本マストに2枚の3角帆を張ったごく一般的なスループ・リグのヨットと、小型の1枚帆のキャット・リグ(ディンギー)も持っているのだが、ヨット操縦のできない客を招いて洋上バーベキューや釣りを楽しむために、もっぱらモーターボートを使うのだという。アメリカやイギリスはもちろんだが、ことにオーストラリアではヨットの普及は大したもので、子供までディンギーを操っている。
ヨットは帆の張り方(リグ=帆装)によっていろいろな種類がある。一番小型はキャットで、舳先近くに1本のマストがあり、これに1枚の帆を張ったものである。操縦が簡単で1人か2人乗り。次がスループで、1本マストが舳先からやや船体中央部に立ち、この前後に2枚の帆メインセールとジブを張る。順風(追い風)の時には舳先近くにスピネーカーという半球形にふくらむ3枚目の帆を張る。これには色鮮やかな縞模様や艇のマスコットなどを染め出したものが多い。オリンピックのヨット競技で使われる「スター」「FD」「シーホース」「470」などといったヨットはこのタイプである。さらにマストを2本にして後部マストの帆で操縦性を向上し、艇を大きくして外洋の波浪にも耐えるヨール、その改良型で前部マストに2枚の帆を装備したケッチ、さらにそれを大型化して3本以上のマストがある巡航用のスクーナーといったところである。
日本にヨットがいつごろやって来たのか正確な記録は無いようだが、元治元年(1864)に出た「横浜明細図」にはヨットが描かれており、幕末に横浜が開港されるとともにガイジンが早速持込んだことが分かる。明治15年(1882)には横浜・山下公園に外人ヨットクラブが誕生し、これが現在の横浜ヨットクラブになっている。
日本人がヨットに乗るようになったのは大分遅れて、大正5、6年のことだという。大正10年に神奈川県葉山海岸で慶応義塾の学生がヨット乗りを始め、それがきっかけとなって琵琶湖、大阪湾、名古屋など各地でヨット遊び(ヨッティング)が盛んになり、昭和7年には日本ヨット協会が設立された。しかし、間もなく始った戦争でヨットはたちまちすたれてしまい、戦後もしばらくは復活せず、昭和30年代になって湘南海岸でいわゆる太陽族などがヨット遊びを始めた。その後も一部の愛好家による特権階級の遊びという雰囲気がついて回っていたが、昭和50年代以降、高度成長期からバブル景気に至り、ヨットは庶民階級にも手が届く遊びになり、一気にフアン層が拡大した。
とは言っても、ゴルフの大流行とは比べ物にならない。ゴルフよりはずっと健康的で精神的にも良いレジャースポーツだと思うのだが、ヨットと聞くと二の足を踏んでしまう。その原因は、ヨットは金がかかり過ぎるという観念が行き渡っているせいだろうか、オーストラリアや欧米諸国に比べて停泊施設などが整備されていないせいだろうか。
我が国の行政には海洋・水上スポーツ文化に対する意識が全く欠けているから、この種の公共施設がほとんど皆無で、私営の金のかかるヨット施設しか無く、その為にかなり割高な遊びになっていることは確かである。しかし思ったほど法外な金がかかるわけではない。自前のヨットを名門クラブに置くというのなら別だが、十数人で1隻保有し割り前を出す方式ならば、ゴルフ遊びと大して変らないようである。それなのに、ヨット人口はゴルフ人口に比べたらお話しにならないほど少ない。
日本はぐるりを海に囲まれ、大きな湖もあり、「我は海の子」と歌にまで唄われているではないか。それなのにヨットが爆発的流行を見せないのは何故か。「それはね、日本人が海洋民族ではないからですよ」と知人のT氏が言う。この人は太陽族の先駆けで、葉山・鐙摺海岸にヨットを持ち、世界中のヨットレースを見て回ることで1年を暮らす結構なご身分の人で、根っからの海の子。「日本人はね、農耕民族。海が怖いんです。だからね、日本がアメリカズカップやシドニー・ホバート・ヨットレースで優勝することなぞ未来永劫あり得ません」。
しづかなる洲に来てヨット寄りゐたり 山口誓子
三帆のヨット鼎のまますすむ 橋本鶏二
若き四肢ふんだんに使ひヨット出す 桂信子
ヨットあやつり少年既に煙草知る 長谷川浪々子
薔薇色の海はヨットを淋しくす 野見山朱鳥
大干潟はるかにヨットおきにけり 河盛鷹郎
港出てヨット淋しくなりにゆく 後藤比奈夫
競ふとも見えぬ遠さのヨットかな 三村純也
ヨットの帆風の一撃もてあます 笹本カホル
ヨットの帆呼ばれしごとく反転す 西川織子