萍(うきくさ)

 「浮き草」というと水面に浮かんで漂う水草全般を指すが、「ウキクサ」という科名の植物分類上れっきとした浮き草もある。夏になると池や沼の表面を緑一色にびっしりと覆う、細かな水草で、「萍」という見慣れない字を書く。

 直径4、5ミリの卵形の葉(正確に言うとこれは葉と茎が一体化した葉状体というもの)で、表面は緑色、裏側は紫色または赤茶色をしている。裏側から1本から3本、時には10本ほどの白い根を生やし、水面を漂っている。夏から秋にかけて時々、小さな白い花を咲かせることもある。

 いったいどこからわき出してくるのか、突然ある年の夏に庭先の金魚を入れた甕などに出現することがある。いったん生え出したら水を換えてもまたいつの間にか現れる。種か胞子が風に乗って飛んで来るのか、金魚やメダカを買って来た時に魚体にくっついていたのか、あるいは金魚を入れて来た水に紛れ込んでいたのか。

 とにかく、これが少しばかり浮かんでいる状態ならなにがしかの風情があるが、放っておくと1、2週間で小型の甕など全面を覆い尽くしてしまうほど猛烈な繁殖力を示す。最初のうちはメダカにとって絶好の隠れ家になり、金魚やモノアラガイの餌になったりもするが、そのうちに水槽の表面をびっしり覆ってしまうとメダカは水面に出られず、餌も満足に採れなくなってしまうのだろう、しまいに死んでしまう。

 ところがこのウキクサ、冬になるとあっという間に姿をけしてしまう。そして水温む春になるとちゃんと浮いて来るから不思議だ。これは水温の低下を感じると、越冬芽という目に見えないほどの大きさの芽になって水底の泥に沈み、生き延びるのだという。一見まことに頼りなさそうな、はかなげな存在だが、実はしぶとい。

 浮き草の女王様格はホテイアオイだろう。南米原産の浮き草で、丸くて鮮やかな緑色の葉を放射状に広げ、葉の付け根が布袋様の腹のようにふくらむ。その中は空洞が無数にあるスポンジ状になっており、これを浮き袋にして水面に浮かぶ。夏になると花茎を伸ばし、青紫の涼しげな花をたくさん咲かせる。ヒヤシンスのような形に花がつくので、英名はウオーターヒヤシンス。ユーモラスな姿と美しい花とで各国で観賞用に栽培され、日本にも明治時代に入って来た。水中に垂らすヒゲ根が金魚やメダカの産卵場所にうってつけなので、どこの家の池や水槽にも浮かべられるようになった。

 ところがホテイアオイの繁殖力もものすごい。花が咲いた後の実が水中に散らばって芽を出すだけでなく、親株から棒のようなランナーを出し、その先に子株が生じる。一夏で一株が十株にもなる。熱帯原産の植物なので日本では冬になると枯死してしまうから、昔はその害もほとんど問題にならなかったが、温暖化が進むにつれ、戸外でも生き延びるものが出て来たから大変なことになった。霞ヶ浦周辺はじめ各地の湖沼で大問題になった。水面を覆ってしまい、浅いところではヒゲ根が水底に根を下ろし、大群落を形成すると、最早水に漂う浮き草のか弱さなどかなぐり捨てて、ひたすら繁殖を続ける。内水面漁業が打撃を被り、船の通行にも差し支える有様になった。

 一時はホテイアオイの旺盛な栄養吸収力を利用して、富栄養化した湖沼の水質浄化に一役買ってもらうなどと脚光を浴びた時期もあった。しかし、栄養を蓄えて大きくなったホテイアオイをどう処理すれば良いのか。水をたっぷり含んでいるからいきなりは燃やせない。岸辺に引き上げて干したところが、しばらくすると腐って猛烈な悪臭を発する。というわけでこのアイデアはたちまち行き詰まった。

 ホテイアオイよりはずっと新しく、第二次大戦後に日本でも盛んに栽培され始めたボタンウキクサ(牡丹浮草)、英名ウオーターレタスという観賞用浮き草がある。これも南米原産とされるが、今では全世界にはびこっている。黄緑の葉が牡丹の花のように水面に浮かび、やがてレタスのように立ち上がる。葉は表面に細かなビロード状の毛が密生し、その上に水玉が転がっているところがとても可愛らしい。熱帯魚や観賞魚ブームとともに牡丹浮草もあっと言う間に日本全国に広まった。

 しかしこの浮き草もしたたかで、猛烈に増える。これがもし食用になれば、これほど作りやすいレタスはないから有り難いことこの上なしだ。見た目は柔らかそうでみずみずしく、いかにも旨そうだ。しかし、これはひどく苦い上にビロード状の毛がざらざらチクチクして、とても食べられたものではないという。そう言われてみれば金魚もそっぽを向いているし、虫に食われることもあまりないから、食用野菜にするのは無理なことが分かる。この浮き草も本来は冬場には枯れてしまうはずなのだが、都市部の河川や池など暖かい排水などが流れ込む場所では生き残る。大阪の淀川流域ではこれが大繁殖して下水管や排水溝を詰まらせたりして大きな問題になったことがある。

 それやこれやで牡丹浮草は2006年2月に「特定外来生物法」による指定生物(植物)になり、学術研究以外の栽培、運搬、管理が禁じられた。それ以後どこの観賞魚売場からも姿を消したが、既に野生化したものがあちこちの湖沼にしぶとく生き抜いている。

 このように日本古来のウキクサ(萍)をはじめ、外来のものも見た目とは異なり極めてしたたかなのだが、和歌や俳諧ではその様子がいかにも頼りなげで儚く見えるところをいつくしんでいる。和歌では萍の「浮き」を「浮き世」「憂き世」にかけて詠むことが多く、浮気な恋人を恨んだり、儚い恋を嘆く小道具として詠まれることも再三であった。俳諧もその流れを受け継いでいるが、もう少し写実的に萍の様子を詠むようになり、萍の本意である「人生の哀歓」というようなものは表面に出さず、裏に潜めている。

 萍は「浮草」「根無草」「かがみぐさ」「なきものぐさ」「青萍」などとも詠まれる。なおホテイアオイは「布袋葵」あるいは「布袋草」として独立の季語になっている。


  流れ流れて萍花のさかりかな   小西来山
  萍を吹きあつめてや花筵   与謝蕪村
  萍の花からのらんあの雲へ   小林一茶
  古池や花萍の昼淋し   内藤鳴雪
  いづこよりわく水ならむ萍に   久保田万太郎
  萍を逃るるさまに漕ぎ離れ   中村汀女
  雨ならず萍をさざめかすもの   富安風生
  萍の流れゆくにはあらざりき   中島斌雄
  漾へるもの萍とのみはあらず   石塚友二
  萍のわが屍を蔽ふべく   三橋鷹女

閉じる