梅雨明(つゆあけ)

 梅雨が明けるというのは気持のいいものである。鬱陶しい長雨が轟き渡る雷鳴と共に去って、真っ青な空が広がる。これから炎暑、極暑の苦しい季節が到来することを一瞬忘れて、やれやれほっとしたという気分になる。そんな嬉しさも込めて、「梅雨明」は「梅雨」とは別に独立した季語となっている。

 暦で言う入梅は立春から百三十五日目の六月十一日頃であり、梅雨は三十日間とされているから、七月十一日頃が「梅雨明」ということになる。しかし関東地方では例年もう少し遅く、七月下旬までぐずついた天気の続くことが多い。梅雨明けとほぼ時を同じくして蝉が一斉に鳴き出す。いよいよ本格的な夏である。

 江戸時代にも梅雨、黴雨という言葉はあったが、古俳諧にはあまり詠まれず、もっぱら五月雨(さみだれ、さつきあめ)が使われていた。従って「梅雨明」と詠んだ句もほとんど無いようである。近代俳句、それも昭和に入ってから、梅雨明けという語感が好まれて盛んに詠まれるようになり、季語として確立した。「梅雨あがる」「梅雨の後」も梅雨明と同義で用いられている。また「入梅」に対する「出梅(しゅつばい)」という言葉も、その固い響きが、長雨ときっぱり縁を切るといった爽快感を抱かせるからであろうか、ちらほら見受けられるようになった。


  梅雨明けし各々の顔をもたらしぬ   加藤楸邨
  耳鳴か梅雨明蝉かとも訊す   篠田悌二郎
  山の上に梅雨あけの月出でにけり   岡本癖三酔
  梅雨明けや深き木の香も日の匂   林翔
  殷々と出梅の鐘撞かざるか   相生垣瓜人
  梅雨明けのただちに蟻の影の土   井沢正江
  庭石に梅雨明けの雷ひびきけり   桂信子
  梅雨明けをよろこぶ蝶の後をゆく   杉山岳陽
  梅雨明けのもの音の湧立てるかな   本宮銑太郎
  火星にも洪水の痕梅雨明ける   渡辺重昭

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