梅雨(つゆ・ばいう)

 六月中旬から七月下旬にかけて、北海道を除く日本列島、中国の江南地方、朝鮮半島に降り続く雨季のことである。この頃、長江(揚子江)流域から日本列島にかけての上空では、暑い湿った太平洋高気圧とオホーツク高気圧など冷たい気団がぶつかって押しくらまんじゅうとなり、そこに前線ができる。これが梅雨前線である。梅雨前線は太平洋高気圧が勢力を増して押し合いに勝つまで停滞するから、長期間の雨降りとなる。

 梅の実の熟す頃に降る長雨ということから「梅雨」と書く。気象用語や正式な文書などでは、そのまま音読して「ばいう」と言うが、日常会話では「つゆ」と呼ぶ方が一般的である。中国語でも「梅雨」と書き、「メイイー」と発音する。しかし首都北京付近ではあまりはっきりした梅雨が無いため、日本の梅雨という言葉が世界中に行き渡り、国際語としては「BAIU」が定着している。高音多湿の日が続いてカビが発生しやすくなるので、「黴雨(ばいう)」とも書かれるようになった。

 昔の太陰太陽暦(旧暦)では梅雨は五月頃なので「五月雨(さみだれ)」と言った。源氏物語の「雨夜の品定め」では、降り籠められて退屈した貴族の不良青年たちが女性談義にうつつを抜かすありさまが描かれているが、これも梅雨の最中のことである。

 しかし長雨にも中休みがあって、時々ぱっと晴れ上がることがある。うっとうしく感じていた時の晴天なので、思わぬ幸運に恵まれたような気分になる。それでこうした気持の良い日のことを昔の人は「五月晴(さつきばれ)」と呼んだ。新暦の五月の晴天も新緑がまぶしく爽やかな気分なので、近頃はこれも「五月晴」と称する人が少なくない。しかし本来は、「ええいこの長雨なんとかしてくれ」という、うんざりした気分でいたところに恵まれた晴天を言ったのである。

 暦の上では立春から百三十五日目が「入梅」とされているから、現在のカレンダーでは六月十一日頃になる。その日から三十日間が「梅雨」なので、七月十一日頃には「梅雨明け」となるはずだが、東京近辺ではまだ盛んに降っていることが多い。

 梅雨前線は南西からゆっくり北上して来るため、入梅や梅雨明けの時期は地方によって大きなずれを生じる。沖縄では五月中旬に入梅となり、青森辺では那覇がそろそろ梅雨明けとなる六月中下旬が入梅である。一般的に梅雨期の降雨量は名古屋以西の西日本に多く、中国地方や九州では年間降雨量の三分の一がこの時期に降ってしまう。東京付近の降雨量は年間雨量の二〇%弱で、青森では一〇%程度に過ぎない。つゆの長雨の影響度合いも東と西とではずいぶん異なる。

 梅雨を筆頭に、日本は雨のよく降る国である。そこで季節ごとの雨の特徴を捉えた命名がなされている。四月頃しとしとと降る雨は「春雨」、菜の花が実になる頃の長雨は「菜種梅雨」、五月に入っての霖雨は「卯の花腐し(うのはなくたし)」、そして「梅雨」となり、「夏の雨」「夕立」があり、「秋雨」「秋霖」「二百十日」「台風」と来て、「時雨」が降って一年が終わる。

 このように私たち日本人は、さまざまな雨をかいくぐって生きているような感じすらする。天気が変わりやすいがゆえに、日本人は四囲の環境変化に敏感である。「コンニチハ」という挨拶言葉は、「良いお天気で」あるいは「あいにくのお天気で」が省略されたものである。英語でも「グッドモーニング」と言いはするが、日本人ほど明確にお天気のことを挨拶言葉とする民族もめずらしい。手紙の書き出しも必ず気候変化を云々することから始めることになっている。こうした風土によって日本人の心がはぐくまれ、和歌や俳句という、季節変化と自然の推移を詠むのが本筋の、世にもめずらしい文学が育った。

 日本の雨季の代表である「梅雨」にはさまざまな名前がある。まず五月末から六月初めの「走り梅雨」に始って、六月中旬の「入梅」(梅雨入り=ついり)となり、本格的な「梅雨」「五月雨」となる。青葉を一層つややかにするので「青梅雨」と言い、ひどい降り方をするのを「荒梅雨」、全然降らなければ「空梅雨」と呼ぶ。

 いまにも降りそうな暗い空を「梅雨空」「梅雨曇」、梅雨空に覆われて真っ暗な夜は「五月闇」「梅雨闇」であり、じめじめと冷え込むのを「梅雨寒」「梅雨冷え」と言う。梅雨の間にふと晴天がのぞけば「梅雨晴(梅雨晴れ間)」「五月晴」ともてはやし、やがて「梅雨雷(つゆかみなり)」(梅雨の雷=つゆのらい)が鳴って、最後っ屁のような大雨が降るのを「送り梅雨」と呼び、ようやく「出梅(しゅつばい)」「梅雨明け」である。しかしまだ安心はできず、晴天が数日続いたと思ったらまた降り出したりする。これが「戻り梅雨」である。

 以上挙げた梅雨にまつわる言葉はすべて季語である。一ヶ月ほどの雨季にこれほどたくさんの季語が生まれたということは、いかに日本人にとって梅雨という季節が良きにつけ悪しきにつけ、印象深いものであるかが分かる。

 梅雨の句は無数にあるが、江戸期から明治までは「五月雨」としたものが圧倒的に多い。『降音や耳もすふ成梅の雨 松尾宗房(芭蕉の前名)』や『焚火してもてなされたる入梅哉 加舎白雄』など少数の例を除いて、「梅雨」という言葉を使ったものは少ない。正岡子規には『いたつきに名のつき初むる五月雨』と、「五月雨」をサミダレではなく「さつきあめ」と読む句があるが、新暦が定着して来るにしたがって「梅雨」が「五月雨」に取って替るようになる。六月や七月になっているのに「五月雨」とすることに抵抗感が生じて来たせいであろう。また、「ばいう」「つゆ」という語感が、俳諧から俳句に代った時代感覚に合っていたとも言えそうである。


  草の戸の開きしまゝなる梅雨かな   高浜虚子
  下京の梅雨の紅殻格子かな   室積徂春
  荒梅雨や山家の煙這ひまはる   前田普羅
  梅雨久し野は雑草の階をなす   川端茅舎
  胸裡にも梅雨前線横たはる   相生垣瓜人
  梅雨夜道ゆくて垣なす黒きは山   上村占魚
  ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき   桂信子
  古書店に入りし匂ひも梅雨最中   高田風人子
  御神馬も羽目板を蹴り梅雨長し   鍵和田秞子
  走り梅雨安定剤をふやしをり   田中湖葉

閉じる