心太(ところてん)

 これこそ日本の伝統食品。奈良時代からさかんに食べられていたことが正倉院の宝物中に記録されているという。平安時代になると京の都の東西の市場には海藻店、心太店があった。ずっと下って室町時代になると、心太を食べさせる店が町中に登場する。さらに江戸時代になると、茶店で食べさせるのはもちろん、担ぎ屋台で町をふれ歩く「ところてん売り」が夏の景物としてすっかり定着した。

 浮世絵の始祖とされる菱川師宣が貞享2年(1685年)に出した「和国諸職絵尽」には、心太売りの男が客の差し出す茶碗に心太突きでにょろにょろ突き出しているところが描かれている。心太突きが現在のものとまったく変らない形なのが面白い。ただし、その担ぎ屋台の看板行灯には仮名で「こころぶと」と書いてある。

 この貞享2年という年は芭蕉が「野ざらし紀行」を発表して、いよいよ蕉風を確立した年でもある。その芭蕉は同じ時期に『清滝の水汲ませてやところてん』という句を作っている。このように、その当時は「ところてん」という呼び名と「こころぶと」という呼び方が混在していたようである。活躍時期が芭蕉より凡そ半世紀遅れの蕪村は、有名な『ところてん逆しまに銀河三千尺』と詠み、さらに蕪村より半世紀遅く世に出た一茶には『一尺の滝も涼しや心太』という句がある。芭蕉の句にしても、蕪村、一茶の句でも、暑い日盛りに心太がするりと喉をすべり落ちる爽快感を詠んでいる。やはり「心太」という季語はこの爽快感、清涼感が本意であろう。

 ところで、どうして「トコロテン」を「心太」と書くのか。瀧澤(曲亭)馬琴は「俳諧歳時記栞草」(享和3年・1803年)の中で、夏の季語として「心太」を掲げ、「ところてん、こころぶと」と書いている。そして「和名抄」からの引用として「大凝菜、和名古留毛波、俗に心太の二字を用ひて古古呂布止と云ふ。[本朝式]凝海藻……」と述べている。

 つまり奈良、平安の昔には、テングサ及びその製品であるトコロテンを「凝海藻(こるもは、こころふと)」と呼び、「心太」の二字をあてた。「こころふと」という呼び名がそのまま使われ続ける一方、「心太」を「こころた」と読むようになり、これも呼び名として定着した。そして「こころた」は「こころてい」に変り、さらに「こころてん」となり、「ところてん」と転訛していった。こうして江戸中期には「こころぶと」という呼び名と「ところてん」という呼称が併存し、幕末明治になると「ところてん」に一本化した。

 日に曝したテングサを水に浸して搗き、簀の上に広げて干し、それを煮溶かし、袋で不純物を漉し取った煮汁を型に流し入れて固めるとトコロテンが出来上がる。細長い棒状に切って、心太突きに入れて突き出し、酢醤油をかけて青海苔をぱらりと振り、芥子を添えて一丁上がり。

 心太というものはこうしてできたものをすすり込む、酢とカラシに時々むせたりする食べ物だとばかり思っていた。ところがさにあらず、いつだったか夏場の京都へ行って、修学院離宮の見学時間待ちで門前の茶店に入った。「ところてん」ののぼりに釣られたのである。出てきたものをずずっとすすって驚いた。甘いのである。「そう、京都では蜜をかけますにゃ」なんて茶店の婆さんはにこにこ笑っている。

 いろいろ調べてみるとなるほどであった。江戸時代には心太ブームと共に製法、調理法が一段と進み、食べ方もさまざまな工夫が凝らされた。「五色心太」というものも生まれた。テングサの煮汁にベニバナからとった紅粉、クチナシの黄色、黒砂糖、米の粉、抹茶を混ぜると、赤黄黒白緑の鮮やかな五色の心太ができる。これを五つの鉢に盛り、それぞれに酢醤油、黒蜜、白蜜、砂糖などをかけて、いろいろな味を楽しむ。こうして元来は下賎な食物だったものが高級料亭の膳に上るようにもなった。

 本来の製法による純正トコロテンは、テングサの持つ磯臭い香りが残っており、腰もかなり強い。これが嫌われて、心太は一時の勢いを全く失い、場末の茶店や駄菓子屋に押しやられた。特に戦後の高度成長期以降、口当たりの良いケーキや菓子が氾濫して、すっかり忘れ去られてしまった。それが近ごろは郷愁も手伝って、スーパーやコンビニにまで売られるようになっている。もともと九九%が水分でノンカロリー食品である。美容食にうってつけというので若い人たちやご婦人連にうけているらしい。しかし最近の心太は大抵は寒天のものが多く、上品だが頼りない味わいである。寒天は心太を厳寒期に屋外で凍らせながら乾燥したものである。「寒晒しの心太」すなわち「寒天」である。これはもっぱらみつ豆の材料になる。


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