飛魚(とびうお)

 ゴールデンウイークの頃、横浜港から(竹芝桟橋でもいい)東海汽船の船に乗って伊豆七島に向かうと、しばしば飛魚の滑空を見ることができる。いかにも初夏の魚という感じで威勢が良く、爽やかな感じがする。もっとも飛魚の身になってみれば、時ならぬスクリューの轟音に驚いて止むなくエネルギーを振り絞って飛び上がったのであろうが、のんびり船旅を楽しんでいる人間は、何となくこちらに歓迎の意を表してくれているように思い込んでしまう。

 全く不思議な魚である。背中は青黒く腹から下は銀白色。胸びれが異常に発達して、広げると鳥の翼のようになる。尾びれはかなり大きく二つに割れ、下側の方が長くなっている。何かに驚くと海面すれすれに時速70キロほどのスピードで泳ぎ、海面に躍り出すと同時に長い尾びれで海面を叩き、その勢いで空中に飛び上がる。その刹那、胸びれを一杯に広げて滑空に移る。高さ六、7メートル、最長400メートルを時速50キロで飛ぶ。世界各地の海に棲息しているから、どこの国の人たちも昔からこの不思議な魚の存在を知っていた。そして「魚のくせに羽根がはえて空を飛ぶ」という強烈な印象を持ち、その結果、この魚の名前はどこの国の言葉でも「飛魚」ということになった。ドイツでは「デア・フリーゲンデ・フィシュ」、英米では「フライング・フィッシュ」、フランスでは「ル・ポアソン・ボラン」、中国では「飛魚(フェイ・イー)」と呼ぶ。

 水温20度ちょっとくらいが好きなようで、南海の海水温が高まる四月下旬になると北上して本州中部近海に近寄って来る。夏の季語となる所以で、これが真っ青な海の中から白雲盛り上がる空へ向かって飛翔する様はまさに夏の景物である。

 初夏に伊豆七島で獲れる飛魚は「本トビ」と言って、大きなものは40センチくらいある。白身で上品な味合いで、刺身、叩きにしていいし、塩焼きもいい。「くさや」は三宅、八丈のアオムロに止めをさすが、本トビのくさやはあっさりした感じで滋味があり、ムロアジとは違ったおもむきがある。中国四国から九州は長崎あたりも飛魚のおいしいのが獲れ、「アゴ」といって、鮮魚として食べるほか、竹輪の材料にしたり、干物にして食べたり、だしにしたりする。

 もう30年くらい前になろうか、而雲さんに誘われて式根島に出かけたことがある。われらが上智大学の柔道部を而雲氏と共に支えていた大野さんという快男児が、故郷の島に戻り学校の先生になり、民宿を開いた。仲間三人語らって、そこを訪ねたのである。 「おー、待ってたぜ」。海坊主とはこういうものかと思わせる風貌の大野さんは、体重百キロのお腹を豪快に揺すりながら、島の裏側にある秘密の釣り場へ案内すると言う。そこへ行くには道は無く、舟で行くのだそうである。「今はな、ちょうどブダイが釣れ頃だ」と皆の期待感を煽る。

 勇んで船着場に行ってみて愕然とした。舟なるものは大野さんがベニヤ板で作った、ボートと言うよりは盥のようなものであった。乗り込むとなんだかブワブワ、ベコベコする。細い角材を舟の形に組み、それに厚さ5ミリほどのベニヤを打ち付けてあるのだが、あちこち釘が浮いてしまっているのだ。おもちゃのようなスクリューの船外機が船尾につけられていたが、それだって始動するのにだいぶ手間がかかった。船着場の突堤を出た途端に波が荒くなる。大野さんが陣取った船尾の所などは船端が海面すれすれに沈んでおり、海水が容赦なく入って来る。

 どうにかこうにか島を回り込んで「秘密の漁場」にたどり着いた。そこは岩場に囲まれた静かで小さな入り江になっていた。陸側は島の岩壁が垂直に海に切れ込んでいる。誰も来られない秘境である。適当な岩に盥舟をもやって、三々五々釣り糸を垂らした。けれども一向につれない。ブダイはおろか、小魚一尾かからない。数時間我慢していたが、とうとう地主の大野さんが、今日はだめだわと投げ出した。

 さて母港への帰路、船着場は向こうに見えるのだが、舟が一向に進まない。「ひぇーっ黒潮がこんなとこまで来てら。今日はまたばかに速ぇなあ」なんて言っている。海面を見詰めると我らが舟の漂っている部分は、向こうの海の色と違う、青黒い帯のようになって流れている。生まれてはじめて黒潮というものを間近に見た。しかし感心なんかしていられない。「大野さん、何だかこの舟どんどん港から遠ざかってるみたいだけど……」。「うん、流されてるんだよ」。冗談ではない。「潮の速さは、そうだなあ、10ノットくらいあるかも……」。船外機は悲鳴を上げて頑張っているが、とても敵わないようだ。「それで、どうなるの」。船底にだいぶ溜まってきた海水を小さなマグカップで必死に掻出しながら聞く。「うん、こうやって流されていると、いつかそのうちに、ふっと潮の流れの外に出ることがある。そうしたら島に帰れる」。

 もう完全にジョン万次郎の心境である。而雲さんの顔をうかがう。彼だって内心穏やかではないはずなのだが、昔から悠揚迫らぬ風貌が身についてしまっているから、一見何の心配もないような表情である。相棒のI君はいつも赤ら顔でビックリ眼をぐりぐりやっている人だから、こういう状況に陥っても怖いのか怖くないのか、傍目にはさっぱり分からない。どうやら四人の中で恐怖感をあらわにしているのは私だけのようである。恥ずかしくなって沖合に目をやると、海面に何か飛び上がった。飛魚であった。夏の午後の陽光を浴びた飛魚は銀色に輝き、黒潮に翻弄されている我々を眺めながら、軽快に滑空していた。

 何とかかんとかして無事に元の船着場にたどり着いた時には、腰がぬけそうであった。そして、その夕方から海上はうねりが高まって、東京からの船が来られないということになった。数日間はだめかも知れないという。そうなると島は大変である。米はあるが副食材料がたちまち底をつく。その後の2日間、ご飯のおかずは飛魚だけということになった。朝は飛魚の干物と味噌汁、昼は握り飯と飛魚のくさや、夜は飛魚の塩焼き……。今でも魚屋の店頭に飛魚が並ぶようになると、式根島を思い出す。


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