滝(たき)

 滝は冬に凍ってしまうものもあるが、たいていは一年中水が落ちている。それなのにどうして夏の季語なのか。やはり断崖から真っ白い帯となって落下するその様が、見る人に得も言われぬ清々しい涼感を与えるからであろう。これまでの多くの滝の句も、大方は滝の持つ爽涼感を詠んでいる。

 ところで「たき」とは何か、と問われたらどう答えれば良いのか。これは「手とは何か、足とは何か」と聞かれたようなもので、困ってしまう。物好きが高じて「季語研究」などという大それたことをやり始めたものだから、事あるごとにこうした幼児にも馬鹿にされるような自問自答をする癖がついてしまった。

 「広辞苑」を引いて見ると、『(1)(古くはタギ)河の瀬の傾斜の急な所を勢いよく流れる水。激流。本流。[万]「石走るーもとどろに鳴く蝉の」(2)高いがけから流れ落ちる水。瀑布。奈良時代は「たるみ」ともいう』とある。どうやら現在は(2)の断崖から落下するようなものを「滝」と呼んでいるが、古くは岩を噛む急流のことを「たき」と呼んでいたようである。いわゆる「たぎつ瀬」である。そして現在のような落下する滝は奈良時代までは「垂水(たるみ)」と称していたらしい。『石ばしる垂水の上のさ蕨の萌えいづる春になりにけるかも』(万葉集巻八、志貴皇子)である。

 これをもう少し理屈っぽく言うと、流れる水が河床が垂直に近くなっている所に来て、水が河床を離れて落下するものが「滝」であり、河床を離れずに音を立てて急流になるようなものは「早瀬」と称するのだという。まあとにかく、「河床に段差ができた所で水が急転直下するのが滝」とでもしておこうか。

 このように滝というのは、流れる水が段差が生じた所へ来て一気に落下する自然の景物の一つに過ぎないのだが、どうどうと落下する水の姿は時に神秘的な力を感じさせる。これがため古くから滝は神聖なものとして人々に崇められた。紀伊半島の那智の滝などは滝そのものが神とされている。これほど大きな滝でなくとも、たとえば玉川の滝でも霊場となり、これに打たれて念じる人が詰めかけた。

 また滝にまつわる伝説も各地にある。孝行息子が酒好きの父親のために滝の水を汲んだら美酒になったという養老の滝伝説がその代表的なものだが、他にもいろいろある。滝の水を飲んだ男が若者に変身したのを見た欲張り女房がたらふく呑んだために赤ん坊になってしまった(島根県木田・赤子滝)とか、滝のそばで昼寝をしていた男の足に水中から出て来た蜘蛛が糸を巻き付けて行ったので、それを傍らの大木に巻き付けておいたところ、やにわに大木が滝壷に引きずり込まれた(兵庫県有馬・蜘蛛滝)というような話しである。森の中の高い崖の上から、水が塊になって落ちて来るさまを見詰めていると、誰しも不思議な気持になる。水がまるで生き物のようにも思える。滝壷近くの裏側の暗くえぐれた所などは何物かが棲んでいそうな気配さえある。こうなると清涼感を通り越してしまう。

 古代から滝は人に不思議な念を抱かせる存在であり、歌にもうたわれて来たが、特定の季節にこだわることはなかったようである。それが涼を呼ぶ存在として「夏」のものとされるようになったのはようやく江戸期の俳諧からである。芭蕉には『しばらくは瀧に籠るや夏の初め』があり、其角には『奥や滝雲に涼しき谷の声』があり、『滝水の中やながるる蝉の声』(惟然)、『山鳥の尾上に滝の女夫かな』(几董)などがあるが、いずれもしっかりした季語として定着しているとは感じられない。芭蕉の句は日光の裏見の瀧見物を夏安居(げあんご)に見立てたもので、全く季語としての意識は無い。馬琴の「俳諧歳時記栞草」にも「瀧殿」はあるが、「滝」単独では載っていない。どうも「滝」が季語として確立したのは明治以降のことのようである。

 滝の傍題としては瀑布、飛瀑、滝壷、滝しぶき、滝の音、夫婦滝、男滝、女滝、夜滝、滝涼し、滝見、作り滝、などがある。


  滝をのぞく背をはなれゐる命かな   原石鼎
  滝の上に水現れて落ちにけり   後藤夜半
  八十の齡よろめく滝の前   富安風生
  滝ますぐ木々まっすぐに立てりけり   星野立子
  滝音を己が声とし若き行者   加藤知世子
  おほらかに滝の真中の水落つる   山口草堂
  生ま身なる吾に集へり滝の冷え   津田清子
  激しさのかたまり落つる女滝かな   鷲谷七菜子
  飛行機のちひさく光る瀧の上   森本和子
  一本の棒にはじまる滝写生   山口甲村

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