筍(たけのこ)

 「伊耶那岐命、見畏みて逃げ還りたまふ時に、その妹伊耶那美命、吾に辱見せつと言ひて、すなはち黄泉醜女をつかはして追はしめき。……なほ追ひしかば、またその右の御髻に刺させる湯津爪櫛を引き闕きて投げ棄てたまへば、すなはち笋生りき。こを抜き食む間に逃げ行きましき」

 これは古事記の最初の方に出て来るイザナギ、イザナミ神話の一部である。火の神を生んだが故に焼けただれ死んでしまった最愛の妻イザナミを忘れかねるイザナギは、黄泉の国まで会いにに行くが、腐れ果てた妻の姿に恐れおののき逃げ出す。「私に恥をかかせたのは許せない」と怒ったイザナミは配下の黄泉醜女(よもつしこめ)に追いかけさせた。必死で逃げるイザナギは右耳のあたりに束ねた髪に刺してあった美しい櫛の歯を欠いて投げつけると、それがことごとくタケノコになって生え出した。ヨモツシコメがそれを引き抜いて食べている間に這々の体で逃げたというのである。筍は古事記の時代から日本人にはおなじみの食料であったことが分かる。

 ただしこの筍はいま私たちが盛んに食べている太くて大きな孟宗竹の筍ではなく、淡竹(ハチク)や真竹(マダケ)、あるいは根曲竹(ネマガリタケ)など古来日本に自生していた筍である。というのも、筍と聞くとすぐに思い浮かべる孟宗竹は中国江南地方が原産の外来種で、日本に入って来てまだ300年もたっていないからである。孟宗竹は享保21年(1736年)に薩摩藩主島津吉貴の命で琉球から取り寄せられ鹿児島で栽培されたのが始まりだと言われている。この筍は従来の日本産よりずっと美味しくてしかも大きくて食べでがあるから、本州各地にも移植栽培されるようになり、全国的に広まった。

 だからこの立派な筍のことを松尾芭蕉は当然知らず、与謝蕪村(1783年没)の頃になってようやく京都あたりでも収穫できるようになったものと思われる。今や筍の本場とされる京都では郊外に行けば立派な孟宗竹の林が至る所に見られ、「京をいへば嵯峨野とおぼゆ竹の春 角田竹冷」と言うように、あたかも大昔から生えていたように思われるが、その景観は存外新しいものであることを知って驚く。

 孟宗竹の名前の由来は中国の説話「二十四孝」から出ている。河南省羅山に孟宗という親孝行な男がいた。父親を早くに亡くし、病に伏す母親を一生懸命看病する毎日を送っていた。真冬のある日、母親が筍の羮(あつもの、スープ)が食べたいと言い出した。雪の降る中を孟宗は筍を探しに竹林にやってきたが見つかるはずもない。竹にすがり何とか筍を見つけさせてくださいと祈ると、あら不思議、足下の雪がたちまち溶けて筍が生えて来たではないか。孟宗はそれを堀取り、早速タケノコ・スープをこしらえて母親に食べさせたところ、すっかり元気回復、孟宗もその後立身出世して地方長官になったという。

 確かに筍はタンパク質が豊富で、ビタミンB1、B2も含んでいる。カリウムもあるのでこれが体内のナトリウムを排出するから高血圧の予防にいいし、コレステロールを除去する働きもある。さらに繊維質を大量に含んでいるから便秘を解消し、大腸癌の予防にもなる。それやこれやで孟宗の母親も健康を取り戻したのかもしれない。ただし食べ過ぎると一種のアレルギー症状を起こして発疹したりすることがあり、滝沢馬琴が「俳諧歳時記栞草」で書いているように「多く食へば人を瀉せしむ(下痢を起こす)」ことにもなる。

 ともかく、タケノコが出回るようになるとああもう夏だなあという感じになる。孟宗竹の筍は九州地方では早いものは二月末頃から出始め、関西、関東地方でも3月下旬から五月にかけてが盛りとなる。さらに北上して5月中下旬には東北南部で採れるようになる。東北南部が孟宗竹の北限とされているが、温暖化が進み採れる範囲が徐々に北に伸びているという。このように近頃は季節がどんどん早まり、その上早く出回る孟宗竹の筍が全盛を極めているから、筍は晩春の季語なのではないかと勘違いしそうである。

 孟宗竹に続いて九州、関西地方を中心に淡竹(ハチク)が採れ始める。淡竹は紫色の皮に包まれた細い筍で、皮を剝くと薄い緑色の茎が現れる。こりこりした食感の、淡泊な味わいが身上の上品な筍である。やがて六月に入ると真竹が採れる。これは苦竹とも書かれるように、苦味があり肉質がやや固いが味わい深い。そして6、7月になると東北、北海道で根曲竹が採れるようになる。これは竹と言うより笹の一種と言った方がいいようで、直径1、2センチの細い筍である。身が真っ白で歯ごたえがあり、素朴な味わいがある。

 タケノコは昔は「たこうな」「たかんな」というのが正式名称で、タケノコというのは俗称だったらしい。字も筍ではなく「笋」と書くことが多かった。明治以降、タケノコという呼び名が全国共通の名称になり、「筍」という字がもっぱら使われるようになった。筍は生長が極端に早く、1日で10数センチ伸びることも珍しくない。旬日(10日)で竹になってしまうというので「筍」という字が出来たという話もある。

 このように筍はあっという間に育って固くなってしまうから、注意していないと収穫時期を逃してしまう。孟宗の筍は地面に先端をちょっとのぞかせたところを堀取る。地表にまだ芽が現れず、わずかに地面が盛り上がってきたところを掘り出したものが一番美味しいのだが、これはまだ小さくて高くつくから高級料亭向きはいざ知らず、八百屋に出回るのはかなり育って頭を地上に突き出したものとなる。掘り上げた後も成長するから、できるだけ速やかに調理しなければならない。掘ってから3日も四日も放っておくと固くなり、アクが出て食べるとえぐみを感じるようになる。

 古くなった筍は筋張って味が極端に悪くなるから、買う時にも注意する必要がある。まずズングリして根元より真ん中辺が太く、持つとずしりと重みを感じるようなものがいい。ビロードのような茶色のうぶ毛があり、艶があり、根元の切り口がみずみずしくて穂先が黄色いものなら掘り取ってからあまり時間がたっていない。根元に赤黒いつぶつぶがあるが、なるべく粒が小さくて赤味を帯びたものの方が苦味やえぐみが少ない。

 買って来たらすぐに茹でる。掘ったばかりの筍なら下茹では不要で、そのまま調理できるが、普通は下茹でした方が無難だ。大鍋に筍がかぶるほどの水を入れ、糠をカップ1、2杯、赤唐辛子を一本入れ、筍の穂先を斜めに切り落とし、皮に一本縦に切り込みを入れて(こうすると茹でやすく、後で皮を剝きやすくなる)鍋に横たえ水から茹でる。筍の大きさにもよるが、30分から1時間で根元近くに竹串がすっと刺さるくらいに茹で上がる。そのまま冷めるまで放って置き、冷えたら取り出して皮を剝き、糠を洗い落とし水に浸けて置く。皮も洗い、根元の方の柔らかい部分を切り取って細く切り、味噌汁や吸い物の実にしたり、裏ごしにかけた梅干しに味醂を加えたもので和えれば素晴らしい「姫皮の梅肉和え」になる。

 下茹でした筍を用いていろいろな料理ができる。何といっても一番ポピュラーなのは若竹煮。茹で筍の上から4分の3くらいを使う。適当な大きさに切った筍を鍋に入れ、鰹節と昆布でとった出汁に砂糖と味醂を好みの分量入れた煮汁をそそぎ入れまず沸騰させる。そこに醤油をいれて味つけし、中火で煮含める。仕上げの段階で茹でた若布を入れさっと煮て出来上がり。器に盛って上に山椒の若芽を乗せる。若布をあまり早くから入れるとべろべろになってしまうから、煮上げる3分前くらいにした方が良い。料理屋では見栄えを良くするため、若布は別に煮て添えるほどだ。

 筍御飯は若竹煮よりはもう少し小さめに切った筍を濃い味で煮る。熱湯をかけて油抜きした油揚げを細かく切り、一緒に煮ると味わいが出る。これを電気釜にスイッチを入れる寸前にぶち込んで炊けば簡単にできる。筍飯には下茹でした筍の根元の方が利用できる。その場合、筍の繊維に直角に薄切りにするといい。味がよく染み込み、歯切れも良くなる。

 育ちすぎた筍の根元近くはいくら薄切りにしても筋っぽくて旨くない。しかし捨てるのはしのびない。その場合は薄切りをさらに賽の目に切り、あるいは切らずに目の粗いおろし金でごりごりおろし、細かく切ったエビやチリメンジャコ、無ければもみ海苔などを混ぜ、少量の片栗粉をつなぎに入れてこね合わせ、丸めて扁平にしたものを油で揚げる。揚げたてに塩を振って食べるととても旨い酒のつまみになるし、天つゆをつければ立派なおかずになる。

 下茹でした筍を適当に切って串に差し、味噌を塗って直火であぶり、山椒の若芽を刻んで少量つけて、熱々のところを頬張る。この筍田楽は実に旨くて、食べ過ぎてしまう。

 本当に旨い筍の食べ方は、筍がそろそろ生えて来そうだという頃合い、竹林の竹をすべて伐採し、そこに藁や枯葉、粗朶などを積み上げて盛大に焚き火をする。燃え尽きたら地面を掘ると蒸し焼きの筍が採れる。まだ熱いうちに皮をはいで食べるのだという。むろんその一帯の竹林は全滅である。こんなぜいたくで豪快な焼き筍は残念ながら食べたことがないが、さぞかし旨いだろうと思う。

 それほど大げさにしなくても美味しい焼き筍は作れる。なるべく新鮮で小ぶりの筍を探し求めたら、海水くらいの薄い塩水に10分くらい浸け、それをアルミフォイルでくるみ、250度のオーブンで30分乃至40分焼けば出来上がり。少し太いものなら2、30分で一旦ひっくり返し、また20分程度焼く。取り出して刺身くらいの厚さにに切り、醤油や味噌をちょっとつけて食べる。何もつけないでも美味しい。

 筍は古くから和歌や俳諧の素材になっている。すくすく育つところから幼子のイメージと重ね合わされた作品をよく見かける。源氏物語「横笛」には「御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて筍(たかうな)をつと握り持ちて雫もよよと食ひ濡らしたまへば」と、幼い薫が細い筍を生え初めた歯ぐきに当てている可愛らしいシーンが描かれている。芭蕉の高弟の服部嵐雪には、もしかしたらこれを踏まえて詠んだのではないかと思われる「竹の子や児の歯ぐきの美しき」という句がある。

 また筍は思いもかけぬ所に生えて来たり、その形がユーモラスなので、そうしたことを詠んだ句も多い。


  たけのこや稚き時の絵のすさび   松尾芭蕉
  竹の子や畑隣に悪太郎   向井去来
  握り喰らふ我がたかうなの細きかな   与謝蕪村
  笋のうんぷてんぷの出所かな   小林一茶
  筍の光放ってむかれけり   渡辺水巴
  雨ごもり筍飯を夜は炊けよ   水原秋櫻子
  筍の鋒高し星生まる   中村草田男
  朝掘りの竹の子の尻冷えまさり   石川桂郎
  阿闍梨墓この筍が倒したる   柴田豊子
  筍の皮剝ぐみぎまえひだりまえ   田川信子

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