空豆(そらまめ)

 豆の莢がそろって天を向いて成るので、「そらまめ」という呼び名がついたらしい。昔は「蚕豆」と書かれ、俳句では今でも蚕豆と書かれることが多い。西アジア原産の二年生のマメ科植物で、古くから食用作物として栽培され、日本には中国経由で伝わった。莢の形が繭を作る寸前の太った蚕に似ていることから、中国では蚕豆と呼ばれ、その字が日本にも伝わって定着した。

 九、十月頃に種を蒔き、角張った茎に鮮やかな緑の羽状複葉の葉を繁らせながら越冬、春先から葉の付け根に紫白色で黒い目がある蝶形の花が咲き始める。花の後に小さな莢ができ、それがだんだんとふくらんで来る。五月になると、実の入った部分がふくらんで、莢はでこぼこになり、なるほど見ようによっては太った蚕のように見えなくもない。

 この若い莢を割ると、莢の内側には真っ白な綿が詰まり、それにくるまるようにして可愛らしい薄緑の空豆がおさまっている。これを塩茹でにしたものを皮のまま口にすると、ふにゃふにゃで、ほんのりした甘さの中に少し渋味があって、いかにも初夏の味がする。若い空豆を薄口醤油を入れた出汁でさっと煮たものも絶品で、純米吟醸の冷やにはぴったりである。

 もうしばらく待つと、実は大きく育ち、扁平で大人の親指ほどの大きさの立派な空豆になる。口の部分には墨で描いたようなお歯黒が出来ている。この頃の空豆は、皮ごとではごわごわするので、尻をちょっと切って、少し膨らんだお歯黒のところをつまみ、指できゅっと押しながら中身を口に放り込む。ほくほくして甘味があり、とても美味しい。酒の肴にももちろんなるが、折りからの季節にも合ってビールには最適である。両国の大相撲夏場所にはこの塩茹で空豆が付きものであった。

 さらに熟すまで採らずに置くと、空豆の莢は茶色になり、中の実も茶褐色になる。成熟した空豆は非常に固い。これをゆっくり煮て、やわらかく砂糖で煮含めるとお多福豆が出来上がる。色は真黒になるが、何とも言えない滋味があり、正月のお節料理に加える家庭もある。四国地方ではこの熟した空豆を炒って茶請けにしたり、柔らかく煮た醤油豆が好まれている。

 外国では若い空豆を塩茹でにしてそのまま食べる習慣はあまりなくて、時折茹でて皮をむいたものを野菜サラダに散らしたりするくらいである。ほとんどは完熟させてしまう。それをウズラ豆やインゲン豆と同じようにスープにしたり肉と煮込んだりもするが、熟した空豆は煮るとアクが出て色が悪いため、あまり人気がない。西洋での完熟空豆の利用法は何と言っても空揚げにして塩を振ったフライビーンズで、これが一番好まれているようだ。

 空豆は莢が大きい割には、食べる実が少ない。昔はどこの家庭でも母親が空豆の莢をせっせとむいては実を取り出すのが、初夏の夕方の台所風景であった。太い莢からお多福のような形の緑色の豆が飛び出すのが面白いと、子どもたちも喜んで手伝った。しかし、莢がたちまち山になってしまうので、今どきのお母さんはゴミ捨てが面倒と嫌がる。それで剥いた豆だけを売る店も増えて来たようだが、これは風味がぐんと落ちてしまう。

 一方、作り手の農家にとっても空豆はあまり旨味のある作物ではないようだ。単位面積当たりの収穫量が低いのに、それほど高値で売れるものでもない。どうしても売れ行きの一定したサヤエンドウや、実も莢も食べられるスナップエンドウに力を入れ、夏場には大豆を一生懸命に作る。というわけで、近ごろ町の八百屋に出回る空豆の量が減り、時期もごく限られたものになってしまった。とどのつまりビヤホールや大衆酒場では一年中冷凍枝豆が幅を利かせ、空豆の出番は年々狭められている。

 空豆は花が早春に咲き、美しく可憐なので「そらまめの花」が春の季語になっており、「空豆蒔く」「蚕豆植う」は秋の季語である。関西地方では「はじき豆」とも呼ばれる。


  はじき豆出初めの渋さ懐かしき       青木 月斗
  仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり  杉田 久女
  蚕豆や笑めるが如く太り来て        小杉 余子
  父と子のはしり蚕豆とばしたり       石川 桂郎
  そら豆はまことに青き味したり       細見 綾子
  蚕豆やひかりみなぎる安房の国       成瀬櫻桃子
  蚕豆の飯のゆふぐれ待たるるよ       森  澄雄
  そらまめ剥き終らば母に別れ告げむ     吉野 義子
  蚕豆のふくらんで行く反抗期        下沢とも子
  喧噪の中蚕豆の皿来たり          後藤 真吉

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