菖蒲は五月五日の端午の節句に飾ったり、軒にさしたり、あるいは蓬の葉と一緒に束ねて湯槽に入れ菖蒲湯をたてたりする。サトイモ科の多年草で水辺に生え、剣状の緑色の葉を叢生する。独特の芳香があるところから古来薬草として尊ばれ、菖蒲湯ばかりでなく、葉を切ったものを浸した酒を菖蒲酒として珍重した。初夏に葉の中から生立った茎に黄茶色の穂状の花を咲かせるが、とても地味である。
これに対して花菖蒲というアヤメ科の多年草がある。これも剣状の緑の葉をとがらせており、素人目には葉っぱだけでは菖蒲か花菖蒲か区別がつかない。しかし、花菖蒲は五、六月になると紫、赤紫、白、桃色、絞りなどのあでやかな花を咲かせる。花はカキツバタやアヤメと似ているが、それらよりずっと大型ではなやかである。江戸花菖蒲、熊本花菖蒲(肥後花菖蒲)、伊勢花菖蒲が有名で、江戸時代に盛んに改良されて数々の名花が生まれた。葛飾の堀切菖蒲園や明治神宮などをはじめ、各地の庭園に植えられ、人々の目を楽しませている。
この花菖蒲と菖蒲が混同されて、五月飾りに花菖蒲が活けられ、桜見物が終った後の花見と言えば、「菖蒲を見に行こう」と、実は花菖蒲を見に出掛けている。分類学上では全く異なる植物なのに、すっかり混同されて、俳句でもしばしば一緒くたにされてしまっている。江戸時代には菖蒲を「あやめ」とか「あやめ草」と呼び、花を愛でる「アヤメ」や「ハナショウブ」も「あやめ」と呼んでいたから、この混同は大昔からのものであるようだ。
もちろん「菖蒲」と「花菖蒲」をはっきり区別して詠んでいるものもたくさんある。「菖蒲」の句は青々した葉を愛でたり、その香りを言ったり、端午という言葉と組み合わせたりしている。これに対して「花菖蒲」の方は、やはりその艶麗な「花」に焦点を絞っている句が多い。もっとも俳句は植物学にそれほど忠実であらねばならぬ理屈はないのだから、あまり目くじらをたてることもない。アヤメとカキツバタとハナショウブの区別だって大方はあやしいのであるから。
旧暦の五月五日ならば花菖蒲の花の真っ盛りだが、太陽暦の五月五日では花菖蒲はまだ咲かない。温室などで促成栽培して無理に咲かせたものを花屋で買うことになる。菖蒲湯に入れる本物の菖蒲はもう葉が出そろっているから手に入るが、これも近ごろは自生地の池や小川が姿を消してしまっているから、やはり花屋に頼るしかない。
「菖蒲」
あやめ草足にむすばん草鞋の緒 松尾芭蕉
夜蛙の声となりゆく菖蒲かな 水原秋櫻子
校倉をめぐる古江の菖蒲かな 麻田椎花
道の上に菖蒲拾ふを見られけり 石田波郷
目のまへの暮れゆく雨の菖蒲かな 西山誠
菖蒲にも髪にも蜜のごとき雨 中嶋秀子
「花菖蒲」
きる手元ふるひ見えけり花菖蒲 榎本其角
足首の埃たたいて花さうぶ 小林一茶
はなびらの垂れて静かや花菖蒲 高浜虚子
万座より落せる水の白菖蒲 前田普羅
菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり 野村喜舟
花菖蒲ゆれかはし風去りにけり 高野素十
名所絵の明治風景花菖蒲 富安風生
胸うすき日本の女菖蒲見に 細見綾子
雨の日の白ことさらに花菖蒲 土田桂子