初夏(しょか)

 「しょか」と音読して俳句に詠まれるようになったのは割に新しいようで、歳時記によっては「初夏」の見出しで「はつなつ」としているものもあり、伝統的には「はつなつ」なのであろう。春夏秋冬、四季はそれぞれ三つずつに区切られるが、初夏は立夏からほぼ一ヶ月で、「夏はじめ」「首夏」「孟夏」という傍題もある。首夏は陰暦四月の異称であり、孟夏の孟は「はじまり」の意味で、どちらも初夏を文語調に昔風に言ったものである。

 「はつなつ」というのはやさしい響きで、これはこれで好ましい感じではあるが、「しょか」と発音すると歯切れが良く、いかにも爽やかな夏が来たという感じがするので、最近では「しょか」と読ませる句が目立つようになってきた。

 「春」はなんと言っても、冬の寒さから開放される歓びである。身も心も縮こまっていたのが、暖かさと共に伸び伸びとした気分になり、草や木々の芽吹きを見るにつけ、新しい生命の息吹を感じて、自分も何だか生き返った、若返った気持になる。大昔から日本人はそれを最も待ち焦がれ、その気配を感じ取っては喜んだ。

 これに対して「初夏」の喜びは、なんとなくぼーっとした晩春の物憂さから抜け出して、爽やかなそよ風に身を委せる心地よさであろうか。窓を開け放ち、服装も軽やかなものに変り、老人から子供まで外に出たいと思うようになる。初夏の空は、花曇りに代表されるぼんやりと霞がかかった春の空と違って、青く澄んで気持が良い。新緑が鮮やかで疲れ目が癒されるようだ。このように身も心も晴れ晴れした感じが「初夏」である。

 しかし、初夏は五月六日の立夏に始って、ごく短い期間に過ぎない。五月も末になると馬鹿に暑い日があったり、そうかと思うと「卯の花腐し(うのはなくたし)」という長雨が続いたりする。そして六月に入ると「走り梅雨」があって本格的な梅雨の季節になってしまう。そしてその後は、言わずもがなのうんざりするような猛暑がやって来る。それだけに人びとは、この実に爽やかな気分の、しかもあっと言う間に過ぎ去ってしまう「初夏」をこよなく愛するのだろう。


  初夏の波を好めり高波を         藤後 左右
  初夏の一日一日と庭のさま        星野 立子
  はつなつを明け放たれて俳諧寺      山田みづえ
  たまさかは夜の街見たし夏初め      富田 木歩
  初夏や憂き出来事もいつか過去      高木 晴子
  厨初夏きちきち剥がすキャベツの葉    西島 麦南
  川に映ゆビルの林や初夏の朝       峰山  清
  酔うて候鋲の如くに星座は初夏      楠本 憲吉
  初夏たのし妻の天気図晴れつづき     榎本 虎山
  銀の粒ほどに船見え夏はじめ       友岡 子郷

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