巴里祭(ぱりさい)

 1789年7月14日、ブルボン王朝の失政圧制に反発したパリ市民がバスチーユ牢獄を襲い、囚われていた政治犯を解放(一説ではこの時獄につながれていた囚人はわずか7人で、政治犯は一人もいなかったという)、これがきっかけとなってフランス革命が始った。その後のフランスは共和制、ナポレオン皇帝の出現、王政復古、再び革命、ナポレオン三世登場、普仏戦争敗北による第二帝政崩壊(1870年・明治3年)と、激動の80年をたどってついに共和制が定着した。

 この日はフランス人にとっては輝かしい人権確立の記念日。国を挙げて祝う祝祭日となっている。だから「パリ」という一つの町の名を冠した祭であるはずもなく、本名は「ル・キャトルズ・ジュイエ」、すなわち「七月十四日祭」と言う。

 それがどうして日本では「巴里祭」になったのか。昭和8年、ルネ・クレールの映画「七月十四日」が日本で公開されるに当って、映画会社の翻訳係が「巴里祭」という題名をつけた。これが大当たりを取って、以来、我が国では巴里祭という名前が定着した。

 日本人のフランス好みというものは不思議である。徳川幕府は命運尽きかけた時、フランスに国を預けるほどの思い入れを込めたが、その後の維新政府はイギリスと新興ドイツを範として、フランスとはどちらかと言えば距離を置いた。やがて軍国主義の台頭とともに英米仏とは敵対関係になり、独伊と結びつく。そして、第二次大戦の敗北後は何から何までアメリカ一辺倒となった。

 このような足取りを見れば、フランスと親密な時期はほとんど無かったと思われるのだが、日本国民はフランスに対して何とも説明しようのない親近感を抱く。特に、文化はフランスにありとの想いが、まるで信仰のように日本人の心の中に巣くってしまった。それは今日でも続いており、若い女性がビニール製のハンドバッグをフランス製であるという理由だけで何万円も投じて買い求めている。

 大正から昭和初年にかけては特に若者や、いわゆる文化人のフランス好みが最高潮に達した。そんな中で映画「巴里祭」が公開された。昭和8年と言えば、世界恐慌の傷跡も十分癒えないまま、前年に勃発した上海事変、満州国建国、五・一五事件などを引きずり、2月には国際連盟を脱退、中国大陸侵略の動きが急になり、それと共に米英仏など列強の日本への警戒感が急速に高まった時期である。内地では東京中心に初の防空大演習というものが行われるご時世ではあったが、一般大衆はきな臭い感じを抱きながらもまだまだ呑気で、「ハアー、踊りおーどるなーら、チョイト東京音頭」などという歌を爆発的に流行らせていた。

 シャンソンも大いに流行った。ダミアのレコード「暗い日曜日」が退廃的、厭世ムードを煽るとして発売禁止となったのも昭和8年だった。三原山に若い男女が次々に飛込み、一躍、伊豆大島が自殺名所として全国的に有名になった。何とこの年だけで男804人、女140人の自殺願望の若者が三原山の火口に飛込んだ。

 海外旅行は洋行と呼ばれ、もちろん飛行機ではなく船に乗って長い時間をかけて欧米にたどりつく。莫大な金がかかり、庶民には叶わぬ夢の贅沢だった。貧乏絵描きや文士や詩人や、そういうものになりたいが踏ん切りがつかずサラリーマン暮らしを送っている庶民は、遠くに響く軍靴の音を感じながら、電気ブランをあおり、シャンソンに耳傾け、遠いフランスに想いを馳せた。こうして本家本元の7月14日祭とはかけ離れた、日本人独特の「巴里祭」のイメージが形作られていった。

 このフランス好みの雰囲気は、日本が焦土と化した第二次大戦後再び日本人の心に甦った。ほぼ10年、横文字厳禁で抑圧されていたから、その反動も手伝って都会人士の間にフランス・ブームが燃え上がる炎のように広がった。若者たちは十分意味を解することもできぬままサルトル、カミュの本を持ち歩き、喫茶店にねばりシャンソンに恍惚となり、巴里祭と聞けばフランス語などとは無縁でも安酒をあおって騒いだ。それは昭和40年代まで続いた。

 巴里祭が季語として定着し、俳句に盛んに詠まれるようになったのは、昭和初年の最初のパリ・ブームではなく、戦後になってからのようである。虚子編の「新歳時記」(三省堂)には季語として採用されておらず、その他の主要な歳時記には載っているものの、例句はおおむね戦後の作品である。

 そしてどういうわけか、高度成長からバブル崩壊を経たいま、日本での巴里祭熱はすっかり冷え込んでしまった。パリの高級料理店が東京に支店を出し、ブランドもののフランス用品が気軽に買え、フランス旅行だってOLがボーナス1回分はたけば悠々行って来られるようになった。「近くなったパリ」が「東京の巴里祭」の影を薄くしてしまったようである。


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