冬至から少しずつ少しずつ夜が短くなって昼が長くなり、夏至には昼の時間が最も長くなる。朝の四時頃にはもう東の空が明るみ始める。昼が長いのだから「日永」こそ夏の季語と言うべきだが、これは春の季語になっている。暗い冬がようやく去って寒さもゆるんで来ると、「そう言えば一時に比べるとずいぶん日も長くなってきたなあ」という感じを抱くところから「日永」は春の季語になったのであろう。これに対して夏は、夜が明けやすい印象が強いところから「短い夜」をとった。「短夜」の傍題として「夜のつまる」「明易し」「明急ぐ」「明早し」というのがあることからも、それが分かる。
日本大歳時記(講談社)の中で山本健吉はこう述べている。「俳句では日永は春、短夜は夏、夜長は秋、短日は冬と定めているが、これはその感じを主にして言うのである。短夜の語は万葉集以来である。『霍公鳥来鳴く五月の短夜も独りし宿れば明かしかねつも』(万葉集槙十、読み人知らず)……」。
何しろ万葉時代からの詩語だから、短夜を詠った短歌や俳句は非常に多い。「ああもう夜が明ける」という句が多いのは当然だが、中でも夜明け方の景色や気温、空気や色彩の変化をきめ細かく捉えた句が目立つ。
一方、この季節は寝苦しさがつのってくる季節でもある。エアコンなどという便利なものが無い時代は、寝ようとして寝つかれず、つい夜更かししてしまう。いざ床に入ってからもなかなか就眠できない。開けっ放しにすればたちまち蚊が入って来る。蚊帳だって吊り始めの頃こそ「初蚊帳」などと珍しがるが、これまた蒸し暑さを増幅する。いろいろ物思いにふけっていると夜が明けてしまう。そんな句も目につく。「明け易し姉のくらしも略わかり 京極杞陽」「短夜の枕にひびく鉄鎖 佐藤鬼房」などにはそういう状況がうかがわれる。
「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎 竹下しづの女」という、どきっとするような句もある。何と漢文を用いてあり、そのまま読み下せば「すべからく捨つるべきか」となる。しかしこの部分には「すてっちまおか」とルビが振ってある。これで俳句になる。
寝苦しさに泣きやまぬ赤ん坊に、疲れ果てている母親はいらだち、いっそ捨ててしまいたいと怒り、しかしとてもそんな事はできるはずがない、という心の揺れである。若い母親の心情が緊迫感をもって迫って来る。漢語にルビという独創的な表記が効果を発揮して、俳諧的な救いを感じさせる。
この句を初めて見た時には、敗戦直後のあのひどい時期にできた句かと思ったのだが、大正9年の作品だという。第一次大戦後の物価高、大正デモクラシーの勃興で、物言う女性が増えてきた時代背景を持っているようである。よく考えてみると、第二次大戦の敗北直後はすべての人が虚脱状態で、こういうふうに漢文表現で苦しさを諧謔に変える心の余裕は生まれようがなかった。
明易や雲が渦巻く駒ヶ嶽 前田普羅
短夜のあけゆく水の匂ひかな 久保田万太郎
短夜の色なき夢をみて覚めし 西島麦南
短夜や枕の下に壇の浦 百合山羽公
短夜の看とり給ふも縁かな 石橋秀野
短夜の夢の満身創痍かな 森田公司
水に身をまかす水草明易し 古賀まり子
明け易くむらさきなせる戸の隙間 川崎展宏
声高に蜑のゆくなり明易き 岡安仁義