葛餅(くずもち)

 宇治の黄檗山万福寺の門前に、大正の初め普茶料理「白雲庵」を開いた林春隆という人が書いた『野菜百珍』という本がある。普茶料理の研究を進める傍ら、山海の食材三百数十種について、故事来歴から調理法まで蘊蓄を傾けた本で、昭和五年に大阪時事新報社から出版された。その中の「葛の話」の項に「葛餅」がある。

 「上葛を砂糖の湯で固く煉り、白き粉を木鉢に敷き、その上へ打ちあけ、粉をかけながらこねると自由につまみ切れる。それを程よい形にして、白砂糖と焼塩を加減して上にかけて出す」とある。「砂糖の湯」としてあるが、この場合「熱湯」でなければなるまい。それはともかく、これが最も基本的な葛餅の製法であろう。

 今日、吉野をはじめ各地の名所旧跡で「純粋の葛粉による伝統的な」葛餅が売られている。それらは葛粉に黒砂糖あるいは赤ザラメを混ぜて水で溶き捏ねたものを一旦蒸して作っているようだが、野菜百珍の作り方と原理は同じである。また、蕨餅というものもある。これは元来は蕨の根茎からとった澱粉を用いて同じように作るものなのだが、今どき蕨粉などはほとんど生産されておらず、大方は葛粉で出来ているようだから、これも葛餅と同種の菓子と見てよいようである。

 江戸時代、庶民の行楽として神社仏閣の参詣を口実にしたピクニックが大流行した。亀戸天神や川崎大師、池上本門寺などもそうした目的地として大勢の参詣客を集め、それらの門前の茶店では、夏場の人気食品の双璧が心太(ところてん)と葛餅であった。しかし、江戸っ子が好んで食べ、われわれ現代人も口にしている葛餅は、どうも「野菜百珍」に載っているような、あるいは吉野で売られているような、本来の葛餅とは違うようである。ぷよぷよぷりぷりした三角の灰色の餅で、黒蜜を掛けて黄な粉をまぶして食べる。口にふくむとちょっと酸っぱいような味がして、独特のすえたような匂いのすることがある。

 実はこの葛餅は葛餅と言いながら、葛粉とは全く関係が無く、小麦澱粉で作ったものである。葛粉は葛の根を砕き水に晒して取った澱粉で、奈良時代から吉野や現在の福井県一帯の名産品だった。葛は日本の山野の至る所に自生しているが、葛粉を大量に取るのは非常に手間がかかる。そこで江戸時代後期になって、亀戸や川崎などでは、大都市江戸の庶民がわれもわれもと参詣に押し寄せる書き入れ時に、安直に供給できるよう、近所で豊富に採れる小麦粉の澱粉で葛餅を作り始めた。

 小麦粉をよく練ってから水の中で揉むと、澱粉は水の中に溶け出してしまい、後にチュウインガムのようなものが残る。このガムのようなものは植物性たんぱく質グルテンの塊で、お麩の原料である。麩を作るために十分に捏ねた小麦粉を水にさらせば白濁した水が残る。これを放置しておけば、やがて器の底には澱粉が溜まる。これが生麩粉(しょうふこ)であり、すなわち江戸近郊の葛餅の原料となり、良質の糊の原料にもなった。

 寺の門前で「葛餅」が名物になったのは、精進料理に無くてはならない麩を製造する際に、副産物として出来た小麦澱粉の廃物利用だったに違いない。副産物だから、ある程度溜るまで放り出して置いたか、水に漬けたままにしておいたのであろう、やがてそれが自然に醗酵して、独特の酸っぱいような匂いを発するようになり、葛餅特有の風味の元になった。

 もちろん現在はこんな悠長な作り方はしない。工場生産で小麦粉澱粉を一気に大量に作る。ただし、葛餅のもつ弾力性や風味を付けるために、今でも澱粉を水に漬けたまま1年以上寝かせて醗酵させているのだという。醗酵した澱粉の臭気はそれはひどいもので、鼻がもげそうになる。

 どうしてわざわざこんな臭気を発するまで醗酵、言葉を変えて言えば一種の腐敗現象を起こさせるのか。それは一旦腐った(発酵した)ものは腐りにくいという経験から生れた智慧の産物のようである。

 煮豆はすぐに腐ってしまうから、醗酵させて日もちのいい納豆というものを考え出した。それと同じように、葛餅も醗酵させた澱粉でこしらえたところが、腐りにくいということが分かったのではないか。冷蔵庫など無い江戸時代、炎天下の葦簀張りの茶店では、まるでバイキンの培養基みたいなぷりぷりの葛餅は半日でおかしくなってしまったことだろう。初めから少々酸っぱくてすえた匂いのするものなら、食べる方も「これが葛餅よ、乙なもんだよ」ということにもなったのではなかろうか。

 十分に醗酵した小麦澱粉を何度も何度も水を替えて晒す。こうして臭気を飛ばし、精製した澱粉を水で溶き、鍋に入れて火にかけて練る。半透明の糊状になったものを平たい容器にとって薄く平らに伸ばし、蒸す。蒸し上がったものを冷やして、三角に切って、黒蜜と黄な粉をかければ葛餅の出来上がりである。十分晒したとは言え、それでも独特の葛餅臭さは残っており、これが風味となる。

 しかし近ごろの若者は葛餅の匂いが苦手なようで、売る方も極力匂いがしない葛餅を作ろうとする。晒しの回数を増やしたり、時には醗酵していない澱粉を使ったりする。そのせいか、最近は葛餅に腰がなくなり、何となく頼りない風味のものが多くなったように思う。

 葛餅は冷水にとっておき、注文と同時にすくって供する。その涼味が夏場に喜ばれたわけで、今日でも野趣豊かな夏場のおやつとして喜ばれる。本家本元吉野あたりの純正葛餅も本来は夏のものだったのだろうが、今日では茶の湯などに用いられる上品な菓子になって、1年中あるせいか、俳句で詠まれる葛餅はもっぱら関東原産の葛餅である。


  葛餅や老いたる母の機嫌よく   小杉余子
  葛餅や山影たたむ茶屋の前   吉田冬葉
  葛餅や松籟いまも真間に鳴り   富岡掬池路
  葛餅や止まり通しのみづぐるま   村上麓人
  葛餅に蜜多すぎることはなし   永井東門居
  葛餅の黄粉の上を蜜すべる   上野章子
  葛餅や親娘とて似し笑ひ声   小松順風
  葛餅の厚手の皿を享けにけり   中嶋秀
  葛餅や吉野まぶしき空となり   茨木和生
  葛餅や動いてをりし古時計   苅谷敬一

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