衣替、衣更とも書く。昔は旧暦四月一日と十月一日に衣を換えた。四月一日には冬服である綿入れをぬいで、裏地のついた袷(あわせ)に着替えた。今流に言えば冬服を合服に換えるようなものである。一ヶ月して本格的な夏になると、袷から裏地の無い単衣(ひとえ)あるいは帷子(かたびら)に着替える。すなわち完全な夏服である。そして、九月には再び袷になり、十月になると綿入れに着替えた。
宮中行事が武家から一般にまで広まって以来の風習だが、昔は衣料品が高価だったから、このように度々着替えるのは庶民にとっては大変である。大抵の家は冬用の綿入れと夏用の単衣しか持ち合わせが無い。それも長屋住まいの庶民はそれぞれ一枚ずつの着た切り雀が普通だから、三月三十日の晩に急いで綿入れの綿を抜き、袷にして更衣に間に合わせるというのが、マメな女房の腕の見せ所だったという。見得が身上の江戸っ子だから、四月になっても綿入れではみっともないし、さりとていきなり単衣に換えては少々寒そうだし、貧乏ったらしいというわけである。
こんな苦労をしてまでも更衣に熱心になったのは、やはり衣服を換えることによって季節の変わり目を感じ取る喜び、気分一新ということを大切にしていたからではなかろうか。
旧暦が新暦に変った明治から第二次大戦前後まで、まだ和服が幅を利かせていた時代には、一ヶ月ずつずらして五月と十一月に「綿入れと袷」の更衣の風習が守られていた。そして六月には夏服への更衣が一斉に行われた。
しかし時代とともに洋服全盛となり、しかも個性尊重とやらで、最近では更衣も家ごとに、あるいは個人個人でずいぶん時差が生じ、ばらばらになっている。わざわざ時を定めて衣服を換える必要などない、その日の気分によって何着もある衣服の中から好きなものを選べばいいということなのであろう。豊かになったと言えば言えるが、そのかわりに季節を感じとる感受性は衰えた。
洋服そのものも、エアコンが普及したせいであろうか、昭和四十年代までは厳然としてあった合服というものがすっかり存在感を失い、夏服と冬服だけになってしまった観がある。冬服も以前のようなぼってりした風合のものは廃れ、昔の感覚で言えばまるで一年中夏服で通しているような感じである。
とは言っても、さすがに夏服への更衣だけは未だに残っているようだ。ことに私立の女学校の更衣が季節を感じさせてくれる。元気溌剌の女学生たちが六月一日に一斉に白っぽい夏服で登校するのを見ていると、ああ夏が来たなあという感じになる。くたびれかけたオジサンたちも、慌てて夏服に着替えて、ちょっぴり元気を取り戻すのだ。
一つぬいで後に負ひぬ衣がへ 松尾 芭蕉
越後屋に衣さく音や更衣 榎本 其角
御手打の夫婦なりしを更衣 与謝 蕪村
衣更て座って見てもひとりかな 小林 一茶
ものなくて軽き袂や衣更 高浜 虚子
はやばやと更へし衣に襷かけ 富安 風生
衣更鼻たれ餓鬼のよく育つ 石橋 秀野
すずかけも空もすがしき更衣 石田 波郷
かなしみをもたぬひとなし更衣 山口波津女
身辺に生死相つぐ更衣 吉井 莫生