毛虫(けむし)

 蛾や蝶の幼虫で毛がたくさん生えているのを「毛虫」と言い、毛がほとんどないものを「いも虫」と呼び習わして来た。日本に棲息する蝶と蛾は五千種類にも上るが、それらの幼虫のほとんどはいも虫で、毛虫は八百種類からせいぜい千種類くらいだという。

 毛虫が毛嫌いされるのは、毒毛に触れた皮膚が痛痒くなり、ひどい時には赤く腫れ上がって発熱するほどの被害を及ぶすからであろう。しかし、すべての毛虫が刺すわけではなく、毒のあるのはごく僅かの種類で、ほとんどの毛虫は身の毛のよだつような装いをしていても無毒である。

 たとえば桜や梅の枝の股になった部分に、4、5月頃、蜘蛛の糸のような糸を縦横無尽にテントのように張った巣を作って、ごちゃごちゃとかたまり、時には百匹以上もが蠢いているオビカレハという蛾の幼虫がいる。この毛虫は成長すると5、6センチにもなり、体中に毛をはやしており、この集団を見るとぞっとする。俗にウメ毛虫とかサクラ毛虫と呼ばれているが、この毛をさわっても別にどうと言うことはない。ところが、これの仲間で松の木にたかるマツカレハ(マツ毛虫)は、刺されと猛烈な痛みを感じる。

 最も危険な蛾はドクガとチャドクガである。ドクガやチャドクガの幼虫は二センチから3センチたらずの大きさで、背中に黒っぽい毛をたてがみのようにはやし、歯ブラシのような形に束になった毒針毛がある。その上から身体全体に白い長い毛が生えている。成虫の蛾も身体中が毒針毛で覆われている。ドクガの毛虫はサクラ、ウメ、バラ、カキなどに多く巣くう。チャドクガはその名の通り、茶の木によくたかり、ツバキやサザンカも大好きである。従って、ツバキやサザンカが植えられている庭にしばしば大発生する。

 ドクガ、チャドクガに刺される(毒針毛が皮膚に触れる)と、最初は気がつかないが、30分ほどで猛烈に痛痒くなり、真っ赤に腫れ上がる。下手にこすりでもしたら大変で、痛痒い部位が広がってしまい、発熱する。抗ヒスタミン剤やステロイド軟膏を塗っても、すっかり直るまで3週間くらいかかってしまう。庭にツバキやサザンカのある家では注意が肝心だ。4月末から5月にかけて、ツバキ、サザンカの葉に2、30匹群れ固まっている小さな毛虫が見つかったら、それはほぼ間違いなくドクガの毛虫だから、少し離れたところから殺虫剤を噴霧してやる。ただし、ドクガの毒針は死んでからもなお毒性を保っているので、ばらばら落ちた死骸に不注意に触ったりしない方が良い。

 もう一つ家庭の庭園樹によく見られる有毒の毛虫にイラガがというのがある。これは2.5センチほどのずんぐりむっくりした毛虫で、身体全体に杉の葉のような棘のある肉質突起を持っている。この突起の中に毒液があり、杉の葉のような先端に触れると、それが皮膚に刺さると同時に毒液が注射されて、飛び上がるような痛さを感じる。これは夏真っ盛りの7、8月にサクラ、ウメ、カキ、アンズ、カエデ、ヤナギ、ザクロなど、いろいろな庭木についている。

 また米国からの貨物について来て戦後大発生したアメリカシロヒトリという蛾の幼虫も、ドクガと非常によく似ている。この毛虫は刺さないのだが、街路樹などに大発生することがあり、旺盛な食欲で木を丸坊主にしてしまう。

 蝶の幼虫は本州で見られる種類のものはほとんどがイモ虫で、毛虫は少ない。ただ、揚羽蝶の幼虫は孵化したばかりは毛が生えていて、いかにも痒そうな感じだが、やがて毛が抜けて黒白まだらのごつごつした皮膚で、頭でっかちのイモ虫になる。3、4センチに成長すると緑色に黒いスジの入った美しい芋虫になり、さわるとオレンジ色の角を出してすっぱいいやな臭いを発する。モンシロチョウの幼虫は緑色のふにゃふにゃした芋虫で、人間には全く無害だが、キャベツをはじめ野菜を瞬く間に平らげてしまう、農家にとっての大敵である。

 毛虫は、実際には刺されても痛くも痒くもならないものの方が多いのだが、見ただけでむず痒くなるような姿形であり、またその食害が甚だしいので、古来、嫌われ者の代表とされてきた。大きな桜の木などにたかった毛虫を退治するために、長い竿の先に灯油などを含ませた布を巻いて火をつけて、巣ごと焼き殺すことが行われる。有効な殺虫剤と噴霧器が手に入りにくかった昔は、この「毛虫焼」が初夏から梅雨の季節の風物詩ともなっていた。従って、毛虫焼の情景を詠んだ句が多い。ただ最近は、ことに都会地では毛虫にお目にかかることもあまりなくなって、俳句に登場することも少なくなった。


  みじか夜や毛虫の上に露の玉   与謝蕪村
  朝風に毛を吹かれ居る毛虫かな   与謝蕪村
  古りし宿毛虫焼く火をかゝげをり   水原秋櫻子
  自が糸に縋りて桜毛虫かな   石塚友二
  いそぎゆく毛虫の心うべなひぬ   阿波野青畝
  子規堂を見せてもらひぬ松毛虫   柳原極堂
  千本の毛みな生きて毛虫かな   高田保
  毛虫こそ物々しげに歩むなり   相生垣瓜人
  毛虫ゆきぬ毛虫の群にまじらむと  軽部烏頭子
  毛虫焼く小言も板につきしかな   油井和子

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