「薫風」と音読みで用いられることも多い。「クンプウ」という音の響きがはずむようで、いかにも5月頃の爽やかな風を感じさせる。「カゼカオル」というと、優しい感じになり、より情緒的な表現の句に似合うようである。「風の香」「南薫(なんくん)」という言い方もある。
「風薫る」と言い、「薫風」と言い、つまり青葉若葉を渡って来る爽やかな風が初夏の香りを運んで来るようだ、という気分である。「風の香」はそのものずばりの表現であり、「南薫」はそういう薫りを運んで来る南風(みなみ)ということである。
木の芽(山椒の若芽)などは別にして、若葉は実際にはあまり匂わない。柿若葉、椎若葉、欅の若葉、若楓などが俳句によく詠まれる若葉だが、むしって手で揉んだりしない限り、強い匂いはしない。樟若葉が時として独特の香りを漂わせるが、それとて気がつかずに通り過ぎてしまう程度である。つまり、この「薫る」は直接的な嗅覚と言うよりは、視覚を通して感じ取る香りのようである。「目には青葉」というように、実に新鮮な感じで、目が洗われる思いであり、新樹を吹き渡って来た風が、いかにも匂うように感じられるということなのであろう。
もともと平安朝あたりでは、この「風薫る」は梅や桜など花の香りを運んで来る風を表わす言葉だった。それが、時代が下るにつれて、「薫風南より来たる」といった漢詩の影響などもあって、夏の南風に乗って来る香しい気分を言う季語になったようである。
松尾芭蕉は『奥の細道』の出羽三山のくだりで、「有難や雪をかほらす南谷」と詠んでいる。山形県大石田で、最上川下りをした時の名句「五月雨をあつめて早し最上川」を詠んだ後、芭蕉は6月3日に羽黒山に登り、南谷の別院に泊まり、翌4日、本坊で寺のお歴々とともに連句を行った。その時の発句である。
句の意味は「なんとも有難いことだなあ、ここ南谷には、緑の木々の間を縫って吹いて来る薫風が、尊い羽黒山の残雪の香りを運んで来るようだ」といったところであろうか。南谷の南と「かほらす」の薫で、「南薫」という季語が隠された形になっている技巧的な句である。元禄2年の6月4日は、陽暦に直すと7月20日であり夏の真っ盛り。羽黒山の中腹の涼風に感激した様子がうかがえる。
俳諧(連句)の発句は招かれた客が詠むのが通例となっており、客の方はそれに対して好意に謝する気持をこめて、そのあたりの景色や雰囲気を愛でる句を詠む。この句などそれが最大限に発揮されたもので、羽黒山の残雪を吹き渡り来る薫風が何よりのご馳走ですな、有り難いですなあと褒めている。一座の坊さんたちは喜んだに違いない。
芭蕉は「薫風」が好きだったらしく、この他にも「風の香も南に近し最上川」「風かほる羽織は襟もつくろはず」と詠んでいる。
夏の風をストレートに言う季語としては「南風」がある。これは「なんぷう」とも使われるが、もともとは漁師言葉である「みなみ」と使われることが多い。これを西日本では「はえ」と呼び、梅雨入りの黒雲が覆いかぶさった中を吹く南風を「黒南風(くろはえ)」、梅雨明けの南風を「白南風(しろはえ・しらはえ)」と言って、独立の季語になっている。黒南風はちょっと異質だが、一般的に「南風」は夏の心地よい風としてうたわれる。
もう一つ、薫風に似た季語に「青嵐」がある。これも南寄りの風で、薫風よりは強い風である。やはり青葉を吹き渡って来る風だが、薫風が「かおる風」であるのに対して、こちらは「みどり(青)の風」で、より一層視覚に訴える度合いが強い。
其人の足跡ふめば風かをる 正岡子規
下毛や青野つゞきに風薫る 松根東洋城
薫風やいと大いなる岩一つ 久保田万太郎
薫風に一切経の櫃並ぶ 高野素十
子等入れて古墳百穴風薫る 野見山ひふみ
五合庵柱細きに風薫る 村田脩
寝れば広きわが胸を打つ野の薫風 香西照雄
薫風や衛兵交代整然と 築谷暁邨
押さへてもふくらむ封書風薫る 八染藍子
風薫る赤子に余るバスタオル 河合澄子