蝸牛(かたつむり)

 かたつぶり、ででむし、でんでんむし、まいまい、かぎゅう、等々いろいろな呼び名がある。日本国中あらゆる地方にいるし、独特な姿形で人目につきやすい生き物だから、地方色豊かな呼び名が生まれたのであろう。

 日本には約700種類、全世界にはざっと二万種類の蝸牛がいるという。私たちの目に触れやすいのは関東地方に最も一般的なミスジマイマイで、殻に三筋の帯がある。世界最大の蝸牛はメノウアフリカマイマイで殻高が19センチもある。最も小さいのは、その名もシジミマイマイと言い、殻高僅か1ミリである。

 「でんでんむしむし、かたつむり、おまえのめだまはどこにある」と歌われているが、蝸牛の目玉は伸縮自在の2本の触覚の大きい方の先端についている。蝸牛は目が悪いらしく、この角上の一眼で明暗を識別するのがせいぜいなのだという。そのかわり2本の触覚が鋭敏で、これによって周囲の変化を識別している。この触覚で食べられそうな若芽の在りかを探り出し、たどり着くとざらざらした舌で若芽を舐め尽くしてしまう。

 のそのそしていて、ちょっと角に触れるときゅっと殻の中に引っ込んでしまう。その愛嬌たっぷりな仕草で子供には大人気だが、家庭菜園をやっている身には愛嬌者などと持囃すわけにはいかない。せっかく蒔いた野菜の種が芽を出したと思ったら、翌朝にはみんな舐め取られてしまう。それはおおむねナメクジの仕業ですよ、とあくまでも蝸牛を弁護する向きもあるが、蝸牛だって野菜が大好きなのである。それが証拠にフランス料理で人気の前菜エスカルゴは養殖場でもっぱらキャベツを食べている。

 エスカルゴと言えば、第二次大戦中に南太平洋の島々に進駐していた日本軍が、いざという時の食糧として、蝸牛の巨大種アフリカマイマイをジャングルに放した。しかしこれはナントカ住血吸虫の中間宿主で食用にならないと分かり放置した。蝸牛にとって天国のような高温湿潤の南の島に放たれたアフリカマイマイは大量に繁殖、今では大変な厄介者になっているようだ。

 1980年代初め、新聞社のシドニー特派員としてオーストラリアに4年間駐在していた。同国国内各地やニュージーランドはもとより、南太平洋の島々までが担当範囲だから、旅ばかりである。取材旅行から戻ると、シドニーの中心部にあるシドニー・モーニング・ヘラルド本社内に置いていたオフィスに行って記事を書く。ある日、その新聞社の社会部記者がやって来て、「南の島にはびこる巨大蝸牛の記事を書くことになった。この蝸牛は旧日本軍が持ち込んだのだが、今では野菜や果物に被害を及ぼして大問題になっている。この件について何か知っていることを話してくれ」と言う。いくら日本から派遣された新聞社の代表だからといって、旧日本軍が放したカタツムリの責任までは負えない。そんなことは初耳だと答えたら、疑い深そうな目つきをするのにはまいった。

 日本人は元々蝸牛を食べることなど思いもよらず、さりとて愛玩用に飼育するわけでもないのに、大昔からこの虫に愛着を寄せてきた。平安時代末期の歌謡集「梁塵秘抄」の蝸牛の歌は素晴らしい。「舞へ舞へ蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん、踏み破らせてん、まことに愛しく舞ふたらば、華の園まで遊ばせん」。2本の角を思い切り伸ばして、上体を持ち上げるようにして踊っている蝸牛が見えるようである。

 蝸牛の人気者であるのに対して、ナメクジは悲惨である。おとなしいこと蝸牛以上であるのに、台所にでも迷い込んだが最後、キャアッと叫ばれて塩をかけられてしまう。ナメクジが喝采を浴びる唯一の機会と言ったら、児雷也の女房として健気にも大蛇丸に立ち向かう時ぐらいである。

 俳句の世界でも蝸牛は芭蕉時代から今日に至るまで人気のある季語として生き続け、たくさん詠まれている。すべてはその姿形としぐさの面白さからであろう。愛嬌のある無しは虫の世界でも重要なようである。

  かたつぶり角ふりわけよ須磨明石   松尾芭蕉
  かたつぶり落ちけり水に浮きもする   加舎白雄
  でゝ虫の腸さむき月夜かな   原石鼎
  やさしさは殻透くばかり蝸牛   山口誓子
  蝸牛いつか哀歓を子はかくす   加藤楸邨
  かたつむり甲斐も信濃も雨の中   飯田龍太
  蝸牛は殻負ひ吾はクルス負ふ   景山筍吉
  蝸牛をつまむ微かに抗ふを   山田みづえ
  金管を身に纏く楽士かたつむり   岡田貞峰
  太き殻引きずり上げし蝸牛   高橋清柳

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