雷を極端にこわがる人は今ではそれほど多くないが、大昔の人たちにとってはそれはそれは恐ろしいものだったに違いない。何しろカンカン照りだった空がなんとなく怪しくなり、黒雲がわき出して、ざーっと降って来たかと思う間もなくピカッと光ってゴロゴロである。何でそうなるのかさっぱり分からないから、実に恐ろしい。「神鳴り」と言うように、まさに天の神様が何かの拍子に癇癪を起こしたに違いないと、大急ぎで蚊帳(かや)を吊り、その中に小さくなって通り過ぎるのを待った。
ところが最近は蚊帳という字に読み仮名を振らなければ読めない人が増えているという。蚊帳など見たことがない人の方が多くなっているのだろう。そういう時代の移り変わりとともに、カミナリサマの恐ろしさも薄れてしまった。「あれは積乱雲中にたまった電気の放電現象です」などとこましゃくれた小学生がしたり顔で言ったりする。
ところがこんな風にバカにしていると、雷神は本当に怒り、送電線に落ちて首都圏の交通網を大混乱させたり、パソコン、テレビなどの家電製品を壊してしまったりする。まだ大丈夫だなどと未練たらしくグリーン上にうろうろしていたゴルフおじさんが、あえない最後を遂げる。やはり雷は恐ろしいのである。
恐ろしいが、ちょっと気分爽快なところもある。大概は強い雨を伴って来るから、雷が通り過ぎたあとは涼しく爽やかな風が吹き通る。日照りでほてった大地も醒まされて、生き返ったような気分にもなる。昔は農民が稲の育ちが良くなると大喜びした。
というようなわけで、雷は恐ろしいが恵みの雨を降らせてくれるものでもあると、昔の人たちはカミナリサマを崇め奉った。
雷は所嫌わず落ちるが、やはり雷神にも好みの場所があるらしく、関東地方では上州(群馬)、野州(栃木)にことに多い。そこでここら辺りを中心に雷を祀った神社がたくさんあるのだが、その総本社が群馬県館林の近くの板倉町というところにある。その名も雷電神社。祭神は火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)、大雷大神(おおいかづちのおおかみ)、別雷大神(わけいかづちのおおかみ)の三柱だが、いずれもカミナリサマを表現を変えて言っているだけで、要するに「雷神」ということである。五月一日から五日まで雷電大祭が行われ、雷除けの御札を受けに大勢の人たちが参詣する。
この神社には雷神だけでなくナマズも祀ってある。言うまでもなく地震の元凶で、雷神と鯰によしみを通じておけば安心というわけである。残るは火事とオヤジだが、防火建築と煙感知器で火事の心配はほとんど無くなっているし、オヤジは既にあって無きが如き存在だから問題外である。
犬公方のあだ名がある徳川五代将軍綱吉は大の雷嫌いだったと言われている。三代将軍家光の四男で母親はやり手の桂昌院。兄家綱が四代将軍になるとともに、皮肉にも雷嫌いが十五歳で雷の本場上州・館林城主にされてしまった。ある時、外出先で雷に遭い、気が転倒して履物のまま座敷に上がってしまった。征夷大将軍の弟で、館林二十五万石の太守ともあろうものが恥ずかしき振る舞いと自責の念に駈られていたところ、おそばに付き従っていた小姓もなんと履物をはいたままだった。これで救われた綱吉は以後この若者をこよなく愛した。これぞ後に生類哀れみの令や賄賂政治の元凶となった側近柳沢吉保だった。というのは講釈などの受け売りだから全くあてにはならないが、とにかくこの綱吉は館林藩主時代の延宝二年(一六七四年)、板倉の雷電神社を立派な社殿に改築している。雷神がこれを嘉したのか、綱吉はその六年後、子供の無かった家綱が死んでしまったため、三十四歳にして望むべくもなかった将軍になれた。
京都では六月一日が北野天満宮の「雷除大祭」。この祭神は天神様菅原道真。道真は今でこそ受験の神様になっているが、元々は雷神である。
学者家系の中流公家の出に過ぎない道真は本来は政治の中枢に参画できるはずがなかった。しかし当代切っての切れ者だったのだろう、藤原氏が絶対権力を持つ宮廷で若くして頭角を現した。時の宇多天皇は藤原氏が政治を壟断、全国各地に私領を増やし代々の天皇家の外戚として権勢をほしいままにしているのを何とかしたいと考え、優等生官僚の道真を片腕に大胆な政治改革に打って出た。道真を抜擢し右大臣に昇進させ、道真の建言を受けて、実益が得られないのに莫大な金と有為な人材を失う危険のある遣唐使を廃止し、私領の権利を制約して中央集権を強化するといった荒療治を行った。これに待ったをかけたのが実力者の左大臣藤原時平。宇多天皇をじわじわ締め付けて醍醐天皇(皇后は時平の姉)に帝位を譲らせた。その上で時平は醍醐天皇に「道真はあなたを廃し、弟君の斉世親王(后は道真の娘)を帝位につけようと企んでいます」と讒言した。これで道真は哀れ太宰権師(だざいのごんのそつ)という九州地方長官に左遷されてしまった。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」といかにも悔しそうな歌を残して九州に下った道真は、そのまま都に帰ることが出来ず、福岡で死んでしまった。
それからが大変。京都に異変が続く。政敵の時平が三十九歳の若さで突然死んでしまう。醍醐天皇の皇太子保明親王(時平の甥)、その息子で皇太孫の慶頼王が相次いで病死。閣議の真っ最中の清涼殿に落雷し、要人多数が死傷するという事件まで起こった。これは道真の祟りに違いないということになって、道真の霊位に三階級特進の正一位を追贈、もともとは火雷天神が祀ってあった北野に天満宮を建てて霊を慰めた。こうして道真は災害を司る神である「天神様」(雷神)になった。さらに道真が元々は学者であったことから、時代が経るに従って「天神様は学問の神様」ということになっていったのである。
東京でカミナリサマに縁の深い所と言えば、やはり浅草寺ということになろう。七月十日に浅草の観音様にお詣りすると、たった一日で四万六千日お詣りしたのと同じ功徳が得られるという「四万六千日」のお祭りがある。お寺さんの大特売日みたいなものだが、百二十六年毎日かかさずお詣りするのと同じ功徳が得られるというのはいかになんでも大風呂敷の広げすぎのような感じがする。しかしまあこの気前の良さというか、大げさなところが江戸っ子の人気を呼んだのだろう、享保時代(一七〇〇年代前半)から四万六千日の浅草観音は大賑わいとなった。
これを当て込んで生まれたのが「ほおずき市」で、前日の九日から屋台が出てほおずきの鉢と一緒に雷除けの赤い毛のトウモロコシを売った。明治に入るとトウモロコシの代わりに浅草寺が「雷除守」を授与するようになって今日まで続いている。このお守りは兜形に折った紙を竹串に挟んだもので、浴衣の襟元や髪に差したりするとカッコイイと現代娘にも受けている。
雷は直撃されれば大木が真っ二つに裂け、人間などひとたまりもない恐ろしさだが、そういうことは滅多にない。むしろ雷が鳴って一雨あれば暑苦しさが去るという期待感もある。昔の人は雷にある種の親しみも抱いていたようである。俵屋宗達の風神雷神図をはじめ、描かれた雷は輪になった鼓を背負い虎の皮のふんどしをつけて、とてもユーモラスである。ちょっと怖いけれど、埃を洗い流す雨をもたらし、閃光と轟音によって萎えた身体と気分をしゃんとさせてくれる夏場の神様なのである。
雷は「いかづち」「はたたがみ」「鳴神」「雷神」などとも詠まれ、遠くかすかに轟くのを「遠雷」、近くで激しく鳴るのを「迅雷」「疾雷」「雷霆」などと言う。「日雷(ひかみなり・にちらい)」は晴天に鳴る雷。
ただ注意しなければならないのは「稲妻」「稲光」は秋の季語だということである。秋の夜空に音もなく雷光が走ることがあり、古来これが稲を実らせると信じられ「稲の夫」(いなづま)と言われて来たところから秋の季語になった。夏の句として稲光を詠みたいという場合には、「雷光」とか「雷電」「雷の矢」とか、なんとか工夫しなければならない。窮屈だが、こんなところにもまた俳句の面白味がある。
雷は夏が本番ではあるが、一年中発生し、それぞれが独特の雰囲気を備えている。立春の後はじめて鳴るのを「初雷」といい、三春通じて発生するのを「春雷」と言う。夏の雷と違って障子を震わすほど派手に轟くようなことはなく、どことなくやさしく、三つ四つで終わってしまうことが多い。これが鳴るとそろそろ地虫が這い出すから「虫出しの雷」とも詠まれる。「冬の雷」「寒雷」には厳しさ、寂寥感がある。寒冷前線によってわき上がる雲によって発生するもので、太平洋岸ではあまり起こらず、鳴ってもそれほどひどくはないが、北陸地方では十一、二月になると強い風雨を伴い盛んに発生する。これが鳴ると鰤が沿岸に近づいて豊漁になるというので「鰤起し」、雪を呼ぶから「雪起し」という季語も生まれた。
このように年がら年中鳴るものだから、「雷」そのものには季感が無いという考えがあったのだろうか、江戸時代の句には雷の句が意外に少ない。ここに挙げた其角、蕪村、一茶の句を見ても、雷を詠みながらも夏場の印象深い景物を取り合わせ、補っているような感じがある。
明治以降、特に大正昭和時代に入ると雷そのものを詠んだ句が続々と現れるようになる。「浅間嶺の一つ雷訃を報ず 虚子」「大雷やそれきり見えず盲犬 鬼城」「蝶の羽のどっと流るる雷雨かな 茅舎」「昇降機しづかに雷の夜を昇る 三鬼」「雷落ちて火柱見せよ胸の上 波郷」など、夏の雷のありさまをきめ細かく表現した句が次々に生まれるようになった。
明石より神鳴晴れて鮓の蓋 宝井 其角
雷に小家は焼れて瓜の花 与謝 蕪村
雷のごろつく中を行々し 小林 一茶
雷や猫かへり来る草の宿 村上 鬼城
神鳴に瀬戸の渦潮応へけり 野村 喜舟
雷に怯えて長き睫かな 日野 草城
夜の雲のみづみづしさや雷のあと 原 石鼎
昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東 三鬼
塩ひさぐ婆の地べたに日雷 石橋 秀野
遠雷やはづしてひかる耳かざり 木下 夕爾