黴(かび)

 昭和も末頃までは私たちはカビと仲が良いとは言えないまでも、なんとなく同居していた。正月の餅にはすぐにカビが生えたし、台所の棚などに置き忘れられた干物などは2、3日で黴だらけになった。仏壇の饅頭にうっすらと黴のけば立っているのが見えたりした。押し入れの奥や箪笥に仕舞っておいた衣類はしばしば黴臭くなった。書棚の本にも黴がついた。

 だから「水餅」という食べ物が生まれ、黴の生えにくい食品を作るために「寒晒し」といった寒中作業が行われ、乾燥食品が工夫されたりした。衣類や書物に風を入れる「虫干し」「土用干」が欠くことのできない年中行事ともなった。これらすべてが黴をなだめすかして、それと共存しようという日本人の智慧だった。

 ところが衛生思想の発達とやらで黴を忌み嫌うようになり、絶対にカビを生やさないことを考え始め、いろいろな手段を講じるようになった。それらが一定の効果を発揮して、今日では家の中から肉眼で見える黴はほとんど追放されてしまった。

 とは言ってもそれは人目に触れる表側だけのことであり、台所の流しのゴミ受けの下や滅多に動かさない冷蔵庫や洗濯機の裏側、エアコン室内機の内部、風入れを怠った押し入れの奥、畳の裏側などは大概カビの巣になっているはずだ。たまたまそういう所に黴を見つけた奥さん方は、気が狂ったようにカビ取り洗剤や殺菌剤を振りかけ、場合によっては専門の業者を呼んで徹底的に掃除して無菌状態にしてしまう。

 しかしそれも一時の気休めに過ぎず、そのうちにまた黴は生えて来る。温暖湿潤な日本は黴にとっては理想的な環境だから、これを絶滅しようとすることの方がおかしいのである。

 お馴染のアオカビや黄色の黴は姿を消したけれど、もしかしたらそれらがいなくなったために、今まで知られていなかった新種の黴が出て来ているかも知れない。何しろこれほど発達したように思える現代科学でもカビのことは十分に解明できていないようなのだ。いい例が、医学薬学の権威があれこれ新薬を作り出しているのに、カビの仲間であるミズムシ、タムシ、恐ろしいカンジダ菌などはしたたかに生き延びて人間を悩ませ続けている。

 それなのに大昔から人間の回りに巣くっていたお馴染のカビだけやっつけて安心していては、かえって危険なのではないのか。現に戦中戦後の乱暴な時期を過ごした年代の人間は、少々カビの生えた餅を食べても「やっぱり旨くないな」などとぼやくくらいで、後はなんともない。

 内田百間の「贋作吾輩は猫である」の中に、主人公の五沙彌先生が、訪ねて来た弟子の蘭哉青年に黴びた饅頭を食わせるくだりがある。
「しかし、何だか黴が生えてゐる様ですね。皮のところが黴臭い」
「黴は布巾を煮え湯で絞ったので拭いて取ればいいんだよ。それもこなひだ綺麗に拭いたのだ」。
 蘭哉は二つ目を指先につまんで、明るい方へ翳してゐる。
「ここん所へこんなに生えてゐます」
「また後から生えたのだらう」
「この黴は二度目なのですか」
「もう餘つ程日が経つからね」
「はあ」

 この作品が書かれたのは昭和24年で、まだ食糧事情が極めて悪かった頃である。小説だから多分に大げさはあるだろうが、どこの家でも滅多に手に入らない饅頭がたまに入りようものなら、大事に大事に食べて、多少の黴くらいはふっふっと飛ばして食べてしまうのが普通であった。

 だがこれを今どきの子供たちに食べさせたらどうなるか。たちまち下痢してしまうだろう。無菌状態に置かれた人間は何ごとにも対抗力が無い。

 カビは淡水、海水、空中、地中とあらゆる所におり、動植物の体にも寄生している。細胞が糸のように連なって糸状体を作り、群落を成す。有機物に取りついて分解し自らの繁殖に必要な栄養分を摂取する。このカビの有機物分解能力が自然界の浄化に多大の貢献をしている。もしカビがこの世からなくなったら、世界中生ゴミで埋まってしまう。

 中にはミズムシ、タムシ、カンジダのような、あるいは食中毒を起こす毒素を発生する有害なカビもあるが、人間に役立つカビも多い。黴から取り出したペニシリンやストレプトマイシンといった抗生物質が無ければ、地球人口はこれほど急速に増加できなかったであろう。

 身近なところではパンを作る酵母もカビの一種である。麹黴が無ければ味噌も醤油も出来ないし、酒だって飲めない。糠味噌も塩辛もくさやの干物も納豆も無い食膳は実に味気ないではないか。日本人が大好きな松茸、椎茸、シメジなどの茸類だって黴の仲間である。こうしてみると、黴を目の敵にしてばかりもいられないのである。

 とは言っても、ふとした拍子に、古くなった食べ物や壊れかかった物置の羽目板の裏側などに、赤や紫、青、黒、緑、黄色と毒々しい色をして、もやもやけば立っている黴を見つけるとぞっとする。ちょっと乱暴に扱ったり、風が当ったりすると灰神楽が立つように粉が舞い上がる。吸い込みでもしようものなら毒薬を飲まされたような気分になる。やはりいくら黴の効用を聞かされても、いざ黴と向き合うと御免被りたい気持になる。

 黴の繁殖には15度以上の温度と高い湿度が必要なので、日本の梅雨時はまさに黴には天国となる。陰鬱な季節にはびこり、得体の知れないものだから、俳句では梅雨時のやり切れない気分をうたう素材として黴が登場する。陰気で湿っぽく、なんとなく黴臭い家の様子を「黴の宿」(黴臭い旅館という意味ではない)と言い、俳句ではよく用いられる。とにかく「黴」は特異な季語と言えよう。


  黴の宿寝すごすくせのつきにけり   久保田万太郎
  としよりの咀嚼つゞくや黴の宿   山口誓子
  黴といふ字の鬱々と字劃かな   富安風生
  厚板の帯の黴より過去けぶる   橋本多佳子
  交響曲運命の黴拭きにけり   野見山朱鳥
  黴る日々不安を孤独と詐称して   中村草田男
  黴の香の中にいきいきナイフとぐ   加藤楸邨
  煙草にがし寄り合ひ食らふ黴家族   小林康治
  美しき麹の黴の薄みどり   須藤菊子
  黴のアルバム母の若さの恐ろしや   中尾寿美子

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