蟇(ひきがえる)

 ガマガエル、イボガエルとも言い、蟾(ひき)、蝦蟇(がま)とも呼ぶ。中国流に蟾蜍(せんじょ)と書いて「ひきがえる」あるいは「ひき」と読むこともある。古代中国の説話では、月には蟇が住んでいることになっている。それが月を食べてしまうものだから、月が欠けて行くのだという。

 蟇は3月頃に冬眠から覚めて池や沼地、田圃に現れ、産卵を終えるとまた寝に帰り、初夏に再び現れる。春先、ちょっとした水たまりや住宅地の池などに寒天質の紐状の卵が生みつけられているが、これが蟇の卵である。やがてそこから小型の真っ黒なオタマジャクシがうじゃうじゃ現れる。オタマジャクシの中ではもっとも目立ち、黒く艶やかに光りきれいである。

 蟇は産卵時以外は水に入らず、薮の中や湿った石の下のくぼみ、古い家の縁の下などに引っ込んでおり、暗くなると這い出して虫を食べる。蚊をよく取ってくれるともいうが、蚊だけではあまり腹の足しになりそうにない。たまたま蚊がいれば食べるということなのだろう。

 日本にいる蛙の中では最も大型で、体長は小さなものでも10センチ、大きなものになると15センチくらいある。身体つきはずんぐりむっくり、背中は黒、茶、黄色が複雑に入り交じった色をして雲形の黒い斑紋があり、イボがたくさんある。ぼってりした腹部は灰白色。このように姿形がいかにもグロテスクで、しかもじっとうずくまって睨んでいるような格好が気味悪い。ということで女性や子供には徹底的に人気がない。しかし、よく見ればなかなかの愛嬌者であり、なんの悪さをすることもなく、害虫を捕食してくれる平和そのものの生き物である。

 動きが鈍く、いたずら小僧に見つかると棒でたたかれたり、こづかれたりする。しかし全く反撃することもなく、ただ背中から乳白色の汗を流しているばかりである。この乳色の汗は目の後ろ側にある耳腺から出すもので、神経毒のブホトキシンというものが含まれているという。これが蟇の唯一の防御武器である。しかし、虫や小動物には効果を発揮するかも知れないが、悪餓鬼を追い払うことなど到底できない。

 ただし、油断をすると大変なことになるようだ。亡父が何かの折に、「ガマガエルを触ったことを忘れて、うっかり目をこすったらしびれるような痛みを感じて涙が止まらなかった」と話していたことを思い出す。亡父は大正の終りから昭和のはじめにかけて、横浜で園芸会社を経営するかたわら、日本食用蛙株式会社というのを始め、アメリカから輸入したブルフロッグを養殖池で繁殖育成して販売していた。

 その繁殖池に蟇も卵を産みに来たのであろう。蟇は取り立てて悪さはしないが、食用蛙を飼う場所にあまり蟇ばかり増えては困るということで、掴まえたのかも知れない。肝心の食用蛙の事業は、何しろ洋食すら珍しかった時代であり、カエルを食べるなどと聞かされただけで卒倒する日本人が多かったから売れるはずがない。得意先が宮内省と帝国ホテルだけで、それもそうそう発注して来ないから、とても採算がとれず、数年で倒産ということになった。繁殖池は戦後に埋め立てられて、今では市立中学校になっており、そこから逃げ出した食用蛙の子孫が横浜、東京、埼玉、千葉とあちこちに散らばってブオーンブオーンと鳴いている。

 池が無くなっても生きて行ける蟇だけは、すっかり住宅密集地となった我家の周辺に未だに生き永らえ、時々顔を見せてくれる。好奇心の強い我家の愛犬玄太は、散歩の途中で蟇に出会した時、さっそく近づいて匂いを嗅いだ。嗅ぐなり飛び退いた。やはり何か危険を感じたらしい。

 この蟇の分泌液を集めて干し固めたものが漢方薬の蟾酥(せんそ)で、強心剤、局所麻酔剤、ある種の興奮剤などに用いられる。昔、家庭常備薬の一つとなっていた六神丸には蟾酥が入っていた。落語で有名な「ガマの油」も、この蟾酥から出た話である。しかし、高貴薬である蟾酥が大道香具師の売る軟膏に入っているはずもなく、口上を述べ立て刀で左腕を傷つけ「ほーら見てごらん」とガマの油をすり込んだがさっぱり血が止まらないというお笑いが生れた。

 歌舞伎や講談や立川文庫で人気があった「児雷也(自来也)」も、巨大な蟇の背に乗って現れ忍術を使うヒーローである。これは元々は中国宋時代の怪盗小説を読本や草双紙に翻案したもので、幕末から明治に大流行した。児雷也は無敵の怪人で悪者をやっつけるが、蛇の妖術を使う大蛇丸がどうも苦手。そこをナメクジの化身である女房のお綱(女来也)が助け、悲願の敵討を成就するという話だったように記憶する。

 ガマの油と言い、児雷也と言い、不格好なガマガエルも昔は結構人気者だったようである。この小さな生き物が常に人の目の触れるところに現れ、うるさい蚊など喰ってくれる健気なヤツで、よく見ればなかなか愛嬌があるじゃないかと、親しまれていたのであろう。動物にも人間界にも、すばしっこく目端の効くのがいて、そういうヤツにいつも煮え湯を呑まされている気分の庶民は、いかにも鈍重で不格好で呑気そうな蟇に共感を覚えるのかも知れない。そんなこともあって、江戸時代から現代に至るまで、俳句(俳諧)にもよく登場している。


  這出よかひ屋が下の蟾の声   松尾芭蕉
  蟾どのの妻や待つらん子鳴くらん   小林一茶
  草の雨蟾も主も古りにけり   正岡子規
  庵主より古き蟾かや菩提樹下   名和三幹竹
  蟇ないて唐招提寺春いづこ   水原秋櫻子
  蟾蜍歩み寄りて巖も近づけり   山口誓子
  蟇出でて子の居ぬ家を賑はす   安住敦
  蟇をりて吾が溜息を聴かれたり   橋本多佳子
  裏返る蟇の屍に青嶺聳つ   飯田龍太
  一家言ありさう蟇の罷り出る   金田一てる子

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