「くちなわ」「ながむし」などという呼び名もある。何とも薄気味悪い動物である。同じ爬虫類でもトカゲ(蜥蜴)やヤモリ(守宮)などは、不意に飛び出したりすればびっくりはするものの、それほど怖い感じはしない。古い家屋の戸袋や壁の穴にいる守宮などは見慣れてしまえば可愛いものである。大きなワニだって襲われる心配のないところにいるのは、見ていて結構面白い。亀となれば子供だってペットにしている。
それが蛇となると、たとえ籠の中に入れられていても、どうにも薄気味悪い。足が無く円筒形の身体をくねらせて進み、外敵に遭うと鎌首をもたげて、口を大きく開け、先が二つに割れた舌を出して、シューッというような威嚇音を発したりする。目蓋の無い目は常に開きっ放しで、冷たく光っている。こうした特異な姿形と動きが気味悪さの因なのだろう。
日本には十種類くらいの蛇がいるけれど、毒のあるのはマムシ(蝮)と沖縄奄美地方のハブ(飯匙倩)だけである。沼の岸辺や田んぼの畔などでよく見つかる赤っぽいヤマカガシにも毒があると言われるが、これは呑み込む蛙や小鳥などを気絶させるくらいのもので、大したことはないという。マムシがやけに恐れられ、ゴルフ場のラフには「マムシ危険」などと書いた立札が立てられたりしているけれど、よしんば噛まれたとしても余程体力を消耗していたり、幼児でもない限り生命を失うことはないという。もっとも噛まれるとひどく痛くて熱が出て、数日は苦しむことになるというから、やはりボールはさっさと諦めて噛まれぬ用心に越したことはない。
大概の蛇は人間を見れば逃げ出すが、マムシは威嚇姿勢を取り、襲って来る。この習性を利用して先が二股になった蛇取り棒で簡単に捕獲出来るという。強くて毒を持ち、猛々しいマムシは見るからに精力的なところから、精を付ける妙薬として昔から焼いて食べたり、焼酎に生きたまま漬けたまむし酒が珍重された。昔、社会部記者をやっていた頃、町の話題を探して蛇屋を取材した折り、好奇心にかられてマムシの蒲焼を食べてみた。なんだか固い鰻を食べているような感じで、さして旨いとも思えなかった。
しかしこれよりずっと以前、昭和二十、二十一年頃、千葉の鷹の台ゴルフ場の中に疎開していた時、伯父が焼いてくれた蛇の醤油付け焼きは実に旨かった。全く使われていないゴルフ場はクラブハウスも茶店も道具小屋も鼠の楽園となっており、それを狙って蛇やイタチがたくさん集まっていた。伯父が家の回りで獲った蛇だからマムシのはずはなく、アオダイショウかシマヘビ、あるいはヤマカガシだったのだろうが、鳥肉とも魚肉ともつかず、脂が十分のっていて、焦げた醤油の香ばしい匂いと一緒に得も言われぬ旨味が口中に広がり、貪り食った。極度な飢餓状態に置かれていた時代だからこそ、ことのほか旨く感じたのだろう。
マムシはさておき、アオダイショウ、ヤマカガシ、シマヘビ、ジムグリといったところが一般にはおなじみの蛇で、これらは蛙、小鳥、ネズミなどを食べる。ことにネズミをさかんに取って食べてくれるアオダイショウは益獣で、昔の農家や商家などは家の中に住み着いたアオダイショウを大切にした。
蛇は冷血動物などと呼ばれ、外気温によって体温が変化してしまう変温動物だから寒くなると活動が鈍る。そこで秋も深まると地中に潜って冬眠する。これを「蛇穴に入る」と言い、秋の季語としている。俗に秋の彼岸に蛇は穴に入ると言われるが、地球温暖化の影響か関東地方あたりでは十月末頃まで蛇を見ることがある。彼岸過ぎてもまだうろうろしているのを、昔の人は入る穴が分らなくなった間抜けな蛇だろうと、「穴惑ひ」などという滑稽な季語をこしらえた。
三月中旬、気温が上がって来ると、蛇は地上に這い出す。これが「蛇穴を出づ」で春の季語。穴を出た蛇は活発に動き回り小動物を捕食し始める。人の目にもよく触れるようになるところから「蛇」は夏の季語になった。
蛇は栄養をつけ身体が一回り大きくなると表皮がはがれて来る。すると蛇は顎のところの皮を木の枝や石垣の出っ張りなどに引っかけて、よじ登る。そうやってまるで寝袋から這い出すように、古い皮から抜け出す。これが脱皮で、あとにはふわふわした抜け殻が残る。「蛇衣を脱ぐ(へびきぬをぬぐ)」「蛇皮を脱ぐ」「蛇の抜殻」「蛇の殻」などと言い、これも夏の季語である。餌をよく取った蛇は夏場に何回か脱皮しその都度大きくなる。獲物に巡り遭うことの少なかった気の毒な奴は一回しか脱皮できない。蛇の抜殻は「金が溜るお守り」とか「厄除」とか言われて、大事にしまっておく人もいた。
通常蛇は雄も雌も単独行動だが、盛夏の候ともなると雌雄合体して岩の割れ目や木のうろなどに十数個の卵を産む。マムシは胎生なので直接子蛇を産む。生れた子蛇はいきなり単独行動を強いられ、烏や野良猫などの餌食にならず無事に育ったのが秋になると一人前の顔で行動し、寒くなって来ると穴を探し冬眠し、来たるべき春を待つ。
このように蛇は人間に何の悪さもせず、おとなしく暮しているのだが、やはりその姿形が禍して嫌われてしまう。日本ばかりでなく西洋でもアダムとイブの昔から悪者扱いである。執念深い、怨念の塊、祟るなど、マイナスイメージで塗り固められ、洋の東西を問わずその種の伝説が数多く作られた。想像はどんどんふくらみ、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や蠎(ウワバミ)、近年ではツチノコなどというものまで生れている。一方では怖いものを崇め奉る心理も働き、神の使いとされることもある。弁天様と白蛇などがその例である。
嫌われ者の蛇だけに、古俳諧では「蛇穴に入る」「蛇穴を出づ」が季節を感じさせる珍奇な季語としてとりあげられているが、「蛇」そのものはほとんど詠まれなかったようである。芭蕉には「蛇くふと聞けば恐ろし雉の声」というのがあるが、無論これは妻恋う雉の声を詠んだ春の句で蛇の句ではない。一茶には「老猫の蛇とる不承不承かな」があるが、これなど珍しい作例である。蛇が俳句にさかんに詠まれるようになったのは現代になってからだが、やはり蛇の特異な姿や動きを描いたもの、蛇のイメージからもたらされる不安感などを詠んだものが多い。
蛇逃げて我を見し眼の草に残る 高浜 虚子
蛇の尾のをどり消えたる葎かな 吉岡禅寺洞
全長のさだまりて蛇すすむなり 山口 誓子
水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 阿波野青畝
蛇の目に見られてうづく足の傷 加藤知世子
大寺に蛇のしづけさ見てありぬ 中川 宋淵
音楽漂ふ岸侵しゆく蛇の餓 赤尾 兜子
蛇消えし草むらを子の打ち打てる 倉田 青鷄
完全にわれを無視蛇の直線行 菅 八万雄
蛇きっとゐる足音立てて行く 佐藤 洋子