端居(はしい)

 これも今日では通用しにくくなった言葉の一つである。夏の夕方、日が落ちて少し涼しい風が吹いてきた頃合い、温気のこもった室内から縁先に出て、ほっとくつろいでいる様子を言う言葉なのだが、エアコンの行き渡った昨今、こうした情趣はすっかり忘れられてしまった。

 そもそも縁側の無い家が多くなっているし、申し訳程度についたバルコニーなどに出ようものなら、手の届きそうな所にある隣家のエアコン屋外機からぶうぶうと熱風が吹いて来て、くつろぐどころではない。そう言えば「温気(うんき)」などという言葉もすっかり耳にしなくなった。こうして日本語は徐々に語彙を減らして行き、変わってカタカナ言葉がこれでもかとばかりに入り込んで来る。

 日本列島は北海道を別にしておおむね湿潤温暖であり、植物の生育には好条件がそろっている。従ってそれを食べる微生物や昆虫が大量に湧き出し、それらを捕食して鳥獣が育ち大いに繁殖して、人間の暮らしも豊かになる。そこまではいいのだが、夏の蒸し暑さだけはどうにもやりきれない。

 零下20度などというのは論外だが、大概の寒さなら穴ぐらであろうと掘っ立て小屋であろうと風除けをほどこした場所にうずくまって、毛皮なり布切れを重ね着すればしのげる。ところが暑さだけはどうにもならない。炎天下で直射日光を浴びれば日射病を起こすから、屋内に引っ込む。すると湿度が高い日本ではたちまち温気がこもり、残るはパンツ一枚というところまで脱ぎ去ってもまだ暑い。あの謹厳実直な兼好法師でさえ、夏場の蒸し暑さにはよほど閉口したのであろう、「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は堪え難き事なり」(『徒然草』第55段)とぼやいている。

 そんなところから「端居」が生きて来る。おじいさん、おばあさんはもとより、時には夕餉の仕度前のちょっと手すきの主婦が冷やし麦茶などを飲みながらほっと一息入れたりする。江戸時代から明治、大正、昭和までずっと続いてきた夏の暮らしの一コマである。

 縁先で涼むご隠居が仕事仕舞いの庭師をねぎらい近くに呼び寄せる。「ご苦労さん、まあ植木屋さん一杯おやり」と、自分が飲んでいる柳蔭をすすめる。「ヤナギカゲ」とは焼酎を味醂で割って冷やした納涼の酒である。「ところで植木屋さん、ナはおやりか」「へ?」「いやいや、青菜のお浸しだよ。ああ、奥や(ぽんぽんと手を打つ)、植木屋さんに菜をお上げ」「旦那様、鞍馬より牛若丸が出でまして・・」「おおそうか、それじゃ義経にしておきなさい」。眼を白黒させた植木屋の八っあん、我が家に戻って女房と熊公相手にドタバタを演じ「それじゃ弁慶にしておけ」とオチがつく、お馴染みの古典落語の発端も「端居」である。

 隠居所に定期的に庭師がやって来るような大家のご隠居も、貧乏長屋のジジババも、それぞれ端居を楽しんでいた。今はどうであろう。専業主婦がケーキを持ち寄って今日風井戸端会議をやったりするのがよくあるようだが、端居の気分とはちょっと異なるようだ。現代は誰も彼もが忙しく、また忙しくしていなければいたたまれない気持に駈られて、「何もしないでくつろぐ」ことがめっきり減ってしまったようである。一人でも多くの人が「端居の効用」を思い出せば、世の中ずいぶん落ち着きを取り戻すように思う。


  蚊やりして師の坊をまつ端居かな   吉分大魯
  ゆふべ見し人また端居してゐたり   前田普羅
  かるわざのはやしきこゆる端居かな   久保田万太郎
  端居してただ居る父の恐ろしき   高野素十
  端居するうしろ姿も人さまざま   富安風生
  端居して明日逢ふ人を思ひをり   星野立子
  芝暮れて端居の縁と平らなる   皆吉爽雨
  妻といふかなしきものの端居かな   田村寿子
  まだ誰も来ぬ料亭の端居かな   下田実花
  娘を呼べば猫が来たりし端居かな   五十嵐播水
  端居せるほとりみづみづしく故人   赤松蕙子

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