五月(ごがつ)

 太陽暦の五月は一年十二ヶ月のうちで最も爽やかな、気分の晴ればれする月である。木々は新緑に輝き、スズラン、牡丹、芍薬、あやめ、かきつばた、つつじ、藤、ライラック等々いろいろな花が咲き乱れ、あらゆるものが活発に動き出しそうな、生き生きとした感じがする。いよいよ夏の到来だが、まだあのうんざりするような暑さは感じられず、もっぱら気持の良い初夏の微風に身を委せる。まさに「風薫る」の形容がぴったりの爽快な天気が続く。

 四月末から休日がとびとびに続くゴールデンウイークということもあって、五月の声を聞くと人々はすっかり行楽気分になる。五月十五日には京都で葵祭、中旬の土日には神田祭、第三金曜日から日曜日には浅草・三社祭というように、各地で夏祭りが開催される。

 ところが同じ五月でも、旧暦の五月(さつき)は現在の六月中旬から七月中旬に当たるから、じめじめした梅雨の季節である。古句には「五月」を季語に据えたものはほとんど見当たらず、「笠しまはいづこ五月のぬかり道 芭蕉」が目につくくらいだが、これとて雨でぐちゃぐちゃになった道を行き悩むという、甚だ不景気な句である。旧暦五月の句は何と行っても「五月雨(さみだれ、さつきあめ)」が圧巻である。「五月雨や色紙へぎたる壁の跡 芭蕉」「さつき雨田毎の闇となりにけり 蕪村」というように、やはり梅雨のじめじめした感じが表に出ている。

 このように現今の太陽暦の五月と旧暦の五月では季感が全く異なる。明治以降、暦の切り替えでかなりの季語に時期的なずれが発生し、これが今も俳句愛好家を悩ませているが、「五月」などはその最たるものであろう。しかし、五月を「ごがつ」と読む場合にはもちろん陽光燦々、薫風そよぐ陽暦の五月と割り切って、古句の「さつき」は忘れた方が良い。

 この新旧五月にからんで誤解誤用されているのが「五月晴」である。五月雨(梅雨)が数日降り続いた後、ふと抜けるような晴天の日が現れる。久しぶりに仰ぐ青空がとても印象的で、誰もが嬉しい気分になることから「五月晴」という言葉が生まれた。ところが近ごろは陽暦五月の晴天を「五月晴」と称することが多くなった。正しい言葉遣いに誇りを持っていたはずのNHKのアナウンサーまでが、ゴールデンウイークの観光地からの実況報告で「今日は本当に気持の良い五月晴れです」などと言う。言葉は時代によって、その意味を変えていくが、これもその一つである。今となってはゴールデンウイークの晴れ上がった行楽日和を「五月晴」と言う人がいても仕方がないと容認せざるを得ないが、そうすると今度は、古典に出て来る「五月晴」をちゃんと理解できるかどうかという問題が生じてくる。

 とにかく「五月(ごがつ)」という季語が盛んに用いられるようになったのは、大正時代以降の現代俳句で、輝く季節を謳歌し、生の喜びをうたいあげる句が多い。ただ、あくまでも明るい五月の陽光も影をつくるように、うきうきした気分にもふと陰がさすことがある。これがひどくなると五月病である。身の回りのすべてが明るく活気づいているのに、自分だけがそれに乗れないと、かえって気分の落ち込みは激しい。明の中の暗、輝きの下の翳である。五月にはそういう一面もある。

 「聖五月」という用い方もある。なんとなく格好が良く、洒落た雰囲気のある言葉ということで、俳句に少し馴れた人が好んで使う。この言葉を最初に俳句に使ったのは誰か、季語として定着したのは何時か、まだ突き止められないのだが、とにかく欧米のカトリック信者の間で五月を「マリアの月」「聖母月」と言うのを借用したものであろう。爽やかな五月の感じを「聖」で表わすつもりなのだろうが、気取りや俗臭がつきまとい、違和感を抱く。日頃キリスト教や信仰とは無縁の輩が、無神経にこういう言葉を使うのは良い感じはせず、むしろ滑稽である。


  藍々と五月の穂高雲をいづ       飯田 蛇笏
  木々の香にむかひて歩む五月来ぬ    水原秋櫻子
  暮れて着く湯町明るき五月かな     井本 農一
  子の髪の風に流るる五月来ぬ      大野 林火
  拭き込まれ五月冷たき炉の板間     木村 蕪城
  余部鉄橋五月の空に架りけり      本橋  節
  徴兵のない校舎には五月病       石村 与志
  艀から艀に猫が跳ぶ五月        旭  昭平
  なんだってできる気がする五月かな   森田美智子
  足首まで埋もれ五月の砂丘ゆく     槙谷 翠泉

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