土用(どよう)

 陰陽五行説から出た言葉で、元来は春夏秋冬それぞれの終わりの18日間を土用と言うのだが、今日ではもっぱら夏の土用だけが話題にされている。二十四節気の小暑から13日後が夏の土用の入りで、その日から立秋の前日までの18日間がこれにあたる。平成15年の小暑は7月7日なので、7月20日から土用が始まり、8月8日の立秋の前の日に終わる。ちなみに、平賀源内作と言われる「土用丑の日、鰻の日」は7月27日である。

 まさに暑さの極まる大暑の真っただ中であり、油蝉がジイジイとうるさく鳴き、じっとしていても汗が吹き出して来る。このように印象が強烈なので、土用と言えば夏のものと考えてしまうようになったのであろう。

 陰陽五行説は中国の戦国時代(紀元前403年─前221年)に生まれ、前漢時代(前202年─8年)に体系化された古代哲学である。

 宇宙の森羅万象は陰と陽の二気の働きによって盛んになったり衰えたりするもので、この相反する二気が調和し、あるいは反発し合うバランスの上に自然界は秩序を保っている、というのが陰陽説である。当然、人間界もこの二気に支配されており、政治も日々の仕事も暮らしも、陰陽二気の影響によって変化する。だから陰陽の変化を知り、これに従えば物事はうまく運んで行くという考え方である。

 陰陽を季節に当てはめれば、春と夏が陽であり、秋と冬が陰ということになる。陰の気は冬至に極大となり、やがて徐々に衰え始め、代わって陽の気が頭をもたげ、夏至に至って陰の気はすっかり消えて陽の極になる。極大になった陽の気は、その途端に衰え始め冬至に至るとすっかり消えて陰の気の支配するところとなる。しかし、陰の極である冬至にも陽の気は底に息をひそめているだけで、やがて芽生えて来る。すなわち夏至にも既に陰の気が差し始めており、冬至にも陽の萌芽がきざしている。物事すべてがこうした「連続」と「循環」によって消長変化していくという思想である。

 「五行」というのは、この世のありとあらゆるものは木火土金水の五つの要素でできているという説である。そもそもこの五要素は陰陽二気の変化盛衰の過程で生じて来るものだという考え方から、両者が結びついて「陰陽五行説」が出来上がったようである。そして、自然界や人間社会に生じる諸現象は、木火土金水の五要素を司る太陽系の五つの惑星である木星、火星、土星、金星、水星の精気の盛衰によって影響を受け、千変万化するのだという考えが導き出された。

 こうした原理に基づいて、四季の移り変わり、方角、人間の身体、色、音、味覚などあらゆるものが分類されていく。例えば「木(もく)」は樹木が生長発育するさまの象徴であるから、季節で言えば春、方角は日の射し始める東、色は青(緑)、シンボルとなる聖獣としては蒼龍(青龍)が割り当てられる。「火(か)」は燃え盛る炎で夏、方角は南、色は赤、聖なる動物は朱雀。「金(ごん又はきん)」は光り輝きながらも冷たい金属で秋、西、白、白虎。「水(すい)」は湧き出す水で冬の象徴であり、北、黒、玄武という具合である。

 それなら「土(ど)」はどうなったのかということになるが、これは東西南北の中央に位置し、すべてに影響力を及ぼすものである。色は黄、シンボル獣は黄龍、人体で「土」に当たる器官は心臓、鼻ということになる。中国の戦国時代、群雄が覇を競った黄土平原は世界の中央に位置し、見晴るかす黄色い大地からこの色が神聖な色とされ、天の命を受けてこれを治める皇帝の服色ともなった。さらに「土」は春夏秋冬の移り変わりを司るとされ、四季それぞれの最後の18日間を「土用」の時期と定めた。つまり、各季節が極まった時期は、次の季節への移行期の始りとも言える。古代中国人はこれを重要視したわけで、例えば夏の真っ盛りから立秋までの時期を、「火」が支配するわけでもなく「金」の司るところでもない移行期として、「土」の支配下にある「土用」と言ったのである。

 さらに陰陽五行に十干十二支の考えが付け加えられ、暦学が集大成されていった。それらが奈良時代に我が国に伝えられ、本国以上に政治経済、国民生活を律する規範とされるようになった。そして時代が下がるに従ってその解釈がさまざまになされ、まさに多岐亡羊、最後にはとんでもない迷信を生むようになった。たとえば一白水星とか九紫火星などと言う九星術や、三隣亡、一粒万倍日などの類いである。

 このように後代になってついた尾ひれはさておき、根源から発した物が、陰陽二気と五元素、五惑星の影響を受けながら消長変化し発展していくという、「連続」と「循環」を重要視する古代中国哲学は効率一辺倒に疲れた現代人にとって、なかなか示唆に富むものである。これは何事も割り切ってしまう結果重視の現代のデジタル思考とは対極のアナログ思考である。

 陰陽五行哲学は近代ヨーロッパ流の実証主義からすれば、実に荒唐無稽なものとして19世紀後半頃から完全に馬鹿にされはじめ、日本でも明治新政府が太陽暦に切り替えるのと一緒に、文字通り古暦として捨てられた。しかし2000年以上、人々の心をとらえてきた物の考え方がそうそう簡単に拭い去られるはずもなく、今でも私たちの日常生活の場面でひょいと顔をのぞかせる。

 時間というものは流れるともなく流れて行くものであり、11時59分の次はパッと12時に変るデジタル時計は、厳密に言えば虚構である。音楽CDも音を細切れにしたものをつなぎ合わせたという点からすれば、本物の演奏とは異なるはずである。医学にしても、病毒を徹底的に退治してしまおうという近代西洋医学に対して、人間の身体が備えている自律的に立ち直ろうとする玄妙なメカニズムを強めようという東洋医学が見直されたりもいている。

 陰陽五行思想も捨てたものではないかも知れない。それはともかく、土用という季語には自然の移り変わりに順応して暮らしてきた日本人の心情が映し出されている。土用の入りを土用太郎、3日目を土用三郎と言い、この日の天気でその年の豊凶を占った。またこの頃、太平洋沿岸に時として大波が寄せることがあり、これを土用波と呼んで用心した。さらに梅漬けを干したり衣服や書籍を日に曝したりする土用干しも夏の暮らしの1コマであった。農耕とは縁の薄くなった都会人としては、せいぜい土用の鰻でも味わいながら大自然の恵みに思いを馳せるのが相応だろうか。


  人声や夜も両国の土用照り   小林一茶
  すっぽんに身は養はん土用かな   松根東洋城
  雀土を浴び穴を深くす土用入り   山口青邨
  逆光の桐さわさわと土用照   佐野青陽人
  人影のかたまって出る土用丑   桂信子
  母に声かける土用の草の中   広瀬直人
  嗤ふべき土用鴉の声聞こゆ   相生垣瓜人
  根こそぎの草流れくる土用かな   西川文子
  西日背に富士せり上る土用かな   渡辺真
  油滴天目その一滴の土用照り   伊丹さち子

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