六月の第三日曜日が「父の日」とされているが、「母の日」(5月第二日曜日)の付け足しのような感じで、もうひとつぱっとしない。1910年、ワシントン州のJ・B・ドッド夫人という人が、母の日があって父に感謝する日が無いのはおかしいと提唱し、州政府がそれを公式に定めたのが始りというが、本家のアメリカでもなかなか広まらなかったようである。
日本には昭和30年代になってから入って来た。母の日と同じように、日本ではこれまたデパートの販売作戦の一環で広まった。しかし「母の日」には紅白のカーネーションという小道具があるが、父の日にはそんな花も無い。せいぜいネクタイの一本もプレゼントしてもらえればいい方である。
父親の権威とみに薄れた昨今だが、この日ばかりはわずかばかりにせよ父親の存在感が現れる。それでもう現代の父親は十分満足で、その上に娘や息子が思い出したように何かプレゼントしてくれたりすれば、もうめろめろになってしまう。
俳句の方ではもちろん第二次大戦後から詠まれるようになった季語である。父の日の俳句はどれもつつましく小さな幸せを詠んだものが多い。
父の日の隠さうべしや古日記 秋元不死男
父の日の夏柑湯など浴びにけり 百合山羽公
父の日や父よりうけし後生楽 行方克己
父の日や生まれついての天邪鬼 三宅郷子
老いてなほ働かねばと父の日あり 小林康治
忘らるるものに父の日鉄線花 神蔵器
さしあげて双手さみしき父の日や 北光星
父の日の父の背を知る太柱 乙部露光
深く深くプールに潜り父の日よ 林 誠司
今もある回す電球父の日よ 斉藤俊子