ビール(麦酒)

 夏の灯ともし頃、気のおけない仲間と語らって屋上ビアガーデンかなにかになだれ込み、冷えたジョッキを傾けると、大げさではなく、本当に生きている喜びを感じる。旨い枝豆に、噛むとパリッというようなソーセージでもあれば言うことなしである。こんなに安上がりに生きる喜びを与えてくれるものは他にあるまい。これこそビールが全世界を通じてアルコール飲料の中で最大消費量を誇る所以ではあるまいか。

 ビールという酒はずいぶん昔からあった。キリンビールの技術者3人が2年がかりで紀元前2500年頃の古代エジプトのビールを再現したという記事を日本経済新聞の文化欄で読んだことがある(03年6月6日付)。古代の墓に描かれていたビール醸造の壁画をもとに作ったのだという。当時はホップを入れることを知らなかったために、古代エジプトビールは苦味が無く泡が立たず、麦芽の香りのする白ワインのような飲み物だという。泡も立たず苦味も無いビールなぞ願い下げだが、それでも古代エジプト人はこのビールをこよなく愛した。だからこそ死者があの世に行ってからも、ビールの作り方を忘れないように壁画にしておいたのであろう。しかし古代エジプトもビール発祥の地というわけではなく、紀元前4000年頃のメソポタミアでは既にビールが作られていたという。

 多分、貯蔵して置いた大麦がふやけて芽を出したものが高温で醗酵し、アルコールを含んだ飲料が自然にできたのがビールの始りであろう。だからビールは農業が始るとほどなく生まれた酒であるに違いない。一方、ブドウが醗酵してできたワインも生まれて、ギリシャ・ローマ時代には両方とも盛んに飲まれるようになった。時代が下って中世になると、ビールはブドウ栽培にあまり適さないドイツ、ベルギー、チェコ、イギリスなど北部ヨーロッパを中心に進歩発展した。ドイツやチェコではホップを添加することにより独特の苦味と香気を持つ、澄んだビールが生まれ、一躍アルコール飲料の王者になった。荘園領主や僧院は醸造所を持ち、領内での専売権を握ったりもした。

 1970年代の初めチェコに三年ほど住んでいたことがある。日本の本州より小さな国で、しかも共産党独裁政権の経済運営が行き詰まり疲弊のどん底だった時期なのだが、ビールだけは豊富にあった。何しろ国内にはビール醸造所が100ヶ所はあると言われていた。昔の日本で村々に造り酒屋があったのと同じことである。国家体制が変ろうとも、ビール造りの伝統だけは変らないのだと、チェコ人たちは昼間から地場のビールを「これが一番うまい」と自慢しながら飲んでいた。プラハの街にも無数のビアホールがあり、僧院の中の飲屋も何軒かあった。いずれも表向きは何とかかんとか社会主義協同組合醸造所などという名称になっているのだが、客も店側も昔ながらの「ウフレク僧院亭」とか「金虎亭」などと呼んで、そこで醸造している独特の味の濃いビールを出していた。

 それらの頂点に立つのがピルゼン・ビール醸造所である。プラハから西南100キロばかりの所に在る中都市だが、中世から連綿と続く「プルゼニュスキー・プラズドロイ(ピルスナー・ウアクウェル)」と髭文字で描いた看板も堂々とした、古色蒼然たる醸造所。ある時、門番に氏素性を名乗って見学を申し出たところ、しばらく内部とやりとりの後、いきなり所長室に通された。日本の新聞記者が来たのは記録に無いのだという。さあ何でも聞いてください、何が見たいと言う。

 実は取材でも何でもない。単なる好奇心で訪ねただけなのである。このピルゼンはプラハから西独バイエルンに通じる街道筋にあり、2ヶ月に一回、日常の食料品や生活必需品を買い求めに、ここからさらに西へ150キロばかりのバイエルンの小さな街ワイデンへ通っていた。ドライブの小休止を兼ねていつも醸造所門前のビアレストランで蔵出しの生ビールを一杯引っ掛けるのが楽しみだった。世の中にこんな旨いビールがあったんだと、つくずく感心するビールだった。日本のビールよりやや濃い色合いで琥珀色に輝き、コクがあるのだが、しつこさが無く、のど越しがすっきりしている。「澄んだビール」の代名詞として「ピルスナー」という名称が世界中で使われているのもむべなるかなと思った。毎度楽しんでいるうちに野次馬根性が頭をもたげて、取材と称して中を見物してやろうとダメで元々と案内を乞うたところが、思わぬ大歓迎を受けたのである。当時のチェコではこうした工場取材には、まず外人ジャーナリスト向けの窓口に申し込んで、許可が下りてからでないと入れなかった。それなのに「誰にも見せたことがない」という地下醸造所まで案内してくれるではないか。

 花崗岩の岩盤を掘り抜いて作った地下には大昔そのままのビール貯蔵所があった。ビールは麦芽を粉砕して天然水でどろどろに溶いたものを煮て、絞った汁に酵母とホップを入れ醗酵させるとできる。しかしできたての若いビールは苦くて青臭くてとても飲めない。これを3ヶ月ほど地下のひんやりした貯蔵所で寝かせて置くと旨いビールになる。この寝かせておく期間に急に暑くなったりするとすべてがオシャカになってしまう。その点、ここピルゼンというところは常に冷涼、しかも温度変化のほとんど無い天然冷蔵庫とも言うべき地下貯蔵庫がある。さらに岩盤をくぐり抜けて湧き出す「ピルゼンの源泉」からの天然水と相俟って世界一のビールができるのだと所長さんは胸を張る。

 しかしその頃既に日本のビール会社は工場内にきらきら光るステンレス製の巨大なタンクを並べ、若いビールを入れて温度管理も雑菌排除も自動的に行うようになっていたから、急に暑くなって全てのビールがだめになるなんてことは無いのだがと、その時は思った。何とも古臭い。何しろここでは御影石の岩肌が光る地下の穴蔵の中に高さ3メートル近い巨大な木の樽が並び、異様な醗酵臭がする。所々にぼんやりと電灯が下がっているだけで、亡霊でも出て来そうである。真昼のように明るく、床には自動的に洗浄水が流れる日本の工場とは雲泥の差である。大樽には梯子が掛けてあり、登ってみろと言う。こわごわ登って覗くと上面にはぶくぶくと泡が盛り上がっている。この泡に守られてビールは静かに寝ているのだそうである。

 まだ30代で生意気盛りだった私は、日本のビール工場とのあまりの違いを言い立てた。所長はもちろん人工温度調節装置付きのステンレス・タンクのことは知っていた。ピルゼン・ビールの最大の得意先であるドイツやベルギーの工場を見ているのだ。そしておもむろに言った。「そういう工場では良いビールができます。しかし、私たちの工場は素晴らしいビールを造っているのです」。

 現在のチェコは共産党支配体制が潰れて民主主義国家になり、ドイツを始め各国の資本が続々と投入され始めたから、ピルゼンビール工場も多分、近代設備が整って、様相を一変させているかも知れない。しかし、チェコ人は頑固なところもあるから、やはりあの花崗岩の地下工場には昔ながらの木の大樽が静かに横たわっているような気がする。

 日本人で最初にビールを飲んだのは織田信長だという説がある。宣教師が持って来たものを振る舞われたというのだが、当時の長い航海に変質もせず運べたのだろうか。マユツバである。黒船来航以降の幕末になると、江戸や横浜の外人居留地に通う日本人を皮切りに「ビヤざけ」を知る人が徐々に増えていった。この頃には醗酵を止める火入れの技術や瓶詰め技術も進んだのだろう、ヨーロッパやアメリカから樽詰め、瓶詰めで輸入されるようになった。

 日本国内でのビール醸造はいつ始ったのだろうか。川本幸民という蘭方医が西洋人から伝授された方法をもって幕末に行ったとも言われるが確かではない。正確な記録が残っている日本のビール醸造の初めは、横浜外人居留地に住んでいた米人ウイリアム・コープランドによるものである。コープランドは明治元年(1868年)、山手居留地123番地(現・中区千代崎町1-25)の崖下にビール醸造にうってつけと思われる湧水を見つけ、付近一帯を借り受けてドイツ人技師ウイーガントを語らって「スプリングバレー・ブルワリー」なる醸造所を建て、翌年「ババリアン・ビア」「ラガー・ビア」などを売り出した。これが麒麟麦酒の発祥で、大正12年まで操業していたが、関東大震災で工場が倒壊、生麦に移転した。今でも現場には小学校の校庭の隅っこの道路脇に当時のビール井戸が残っている。それより少し遅れて、明治9年、北海道開拓使が札幌でサッポロ・ビールを始めた。

 今や日本は世界有数のビール生産国であり消費国でもあるが、どうも日本のビールは画一的である。ことにこの10年ばかりは「ドライドライ」と囃し立て、アメリカ流のソーダ水みたいなビールが全盛を誇っている。アサヒビールがこれで当てると、どの会社も右へ倣えしてしまうから、個性的なものが出回らなくなってしまう。ピルゼンの所長ではないが日本のビールは「良いビール」かも知れないが、「素晴らしいビール」ではないようである。地ビールというものが流行り、時々おやと思うようなのに巡りあうことがあるが、高いし、売場が限られているから飲みたい時に手に入らない。大メーカーのビールで個性的な味わいを保っているのはサッポロのエビスとサントリー・モルツくらいのものである。

 と、偉そうなことを言ってはいても、大汗をかいた後ぐっと一杯やる時には、何ビールを出されても分かりはしないのである。銘柄など関係なしに旨い。のど越しの清涼感が何ともいえない。こんなところがビールの良さであろう。


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