詩歌では「そうび」または「しょうび」ともうたわれる。バラ科バラ属の総称で、北半球の温帯域に約200種類の野生のバラが自生している。しかし、今日私たちが「薔薇」と聞いてすぐに思い浮かべるバラは、主としてヨーロッパ各国、米国、日本で観賞用に品種改良された人工的な花木である。俳句でも「薔薇(ばら)」と言えばこれを指し、日本に昔からあった茨(いばら、花いばら)やハマナスは含めないのが普通である。
栽培品種としての薔薇は、自生の原種が白かピンクの五弁一重咲きであるのに対して、花の色も多彩で、咲き方も八重咲きはじめさまざまあり、豪華絢爛そのものである。今では四季咲きの品種が大勢を占めており、温室栽培すれば真冬でも咲くから、薔薇にはあまり季節感が感じられないが、やはり元々の薔薇の盛りである夏(初夏)の季語とされている。
薔薇には棘が付き物であり、美しいものや素晴しいものには棘(危険、瑕)があることの譬えにされてきた。園芸品種として改良を重ねる際に、棘の無いバラを作ろうという努力がなされ、今では棘無しのバラもかなりあるが、大型で豪華で花色も優れたものにはどういうわけか立派な棘が生えてしまうという。人間社会にも当てはまりそうな寓話である。
日本にもノイバラ(野茨)、ハマナス、サンショウバラ、フジイバラなど自生種が10種類くらいある。ことに白い可憐な花をたくさんつける茨は北海道を除く全土に自生しており、万葉集にも茨を詠んだ歌が載っている。「道のべの荊の末にはほ豆のからまる君を離れか行かむ」(巻20)というもので、「道の辺の茨の先端に這いからまる蔓豆のように、からみついてくる君から離れてまで行かねばならないのだろうか」といった意味であろう。この歌の作者は上総国天羽郡上丁丈部鳥としてある。上丁は班長さんくらいであろうか。現在の千葉県富津市から防人として徴用され、はるばる九州の辺土まで行かねばならなかったタケベノトリさんは、恋しい人との別れを茨とそれにからみつく野生のエンドウに譬えて嘆き悲しんだ。
万葉集より少し早く編纂された「常陸国風土記」にも茨が出て来る。これはロマンチックな素材としてではなく、戦で敵を陥れるために落とし穴を掘って中に茨をたくさん入れ、敵を追い込んでからめ捕ったという話である。この当時、茨は「うまら」あるいは「うばら」と発音されていたらしい。茨城県にはこの常陸風土記にもあるように、茨が至るところに生い茂っていたようで、古い地名に「うばらぎ」があり、これが県名の元になった。とにかくバラは万葉時代には既に日本人に馴染の深い植物だったことが分かる。
源氏物語、枕草子や古今和歌集にもバラが登場する。この時代になると、日本原産の茨ばかりでなく、唐から輸入されたコウシンバラ(長春薔薇、学名Rosa chinensis)を対象とした詩歌が多くなる。そこでは薔薇を音読した「さうび」という言葉が用いられている。さらに鎌倉室町時代になると中国大陸との貿易が盛んになり、薔薇の新品種が次々にもたらされた。江戸時代になると園芸ブームが起り、園芸書が続々と刊行された。農学者でもあった貝原益軒の著書「花譜」(元禄11年、1698年)に薔薇(さうび)には5種類あると記されている。また、別の園芸書には「ろうざ」という名前の花があるところから、この頃にはオランダ船などによってヨーロッパの薔薇が入って来ていたという説もある。
ヨーロッパには大昔から熱狂的なバラ好きが多かった。紀元前3000年のクレタ島の壁画にはバラの絵が描かれているというし、バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」やギリシャの歴史家ヘロドトスの書物にも登場する。クレオパトラもバラが大好きで、バラの花やバラ香油の香りでカエサルを誘惑したと言われている。中世に入ると一般庶民にまでバラの愛好家が増え、人々があまりにもバラに熱中するのは良くないと、教会が栽培禁令を発するほどになった。
皇帝ナポレオンの妃ジョセフィーヌのバラ好きはあまりにも有名で、マルメゾン離宮に世界中から取り寄せた数千種のバラを植えさせた。そしてバラ栽培の専門家を雇って新品種を作らせた。この伝統によりフランスが薔薇栽培の中心地となり、ナポレオン三世統治下の1867年に「ラフランス」という、八重咲きでピンク色を帯びた白色の華麗かつ気品にあふれた新品種が誕生した。これが「モダンローズ」と呼ばれる現在世界中に広まっている薔薇の先祖である。
フランスに続きイギリスでも薔薇の品種改良がなされ、ドイツもこれに追随、こうして20世紀初頭にかけてヨーロッパ中に薔薇づくりの競争が始まった。ところが第一次、二次世界大戦で混乱したヨーロッパは薔薇の品種改良どころではなくなり、中心はアメリカに移った。
とにかく当時のバラの品種改良熱は大変なものだったようで、ヨーロッパ原産のバラに中国産、日本産のバラを掛け合わせることが盛んに行われた。日本の茨(ノイバラ)は学名をRosa multiflora(多花性バラ)と言うように、小輪の花をたくさん付ける。可憐で香りが良く、しかも耐寒性があり病気にも強いということで、これを掛け合わせることによって、魅力的なバラが次々に作出された。ロンドン郊外の王立植物園キュー・ガーデンには1862年に日本から持って来られた茨が標本になって残っている。ハマナス(Rosa rugosa)もイギリスではジャパニーズローズと呼ばれて人気を呼び、これまた改良されて大きな花を咲かせるものが生れた。
バラは百数十年にわたって数々の改良が加えられ、数万におよぶ品種が生れた。色も形も千変万化である。しかし、どうしても出来ないのが真っ青と真っ黒のバラであった。だから英語で「不可能」を意味する“The blue rose”という言葉が生れた。世界中のバラ栽培家が懸命に取組み、青っぽい花を作り出すところまでは行ったが、本当の青は生れない。研究の結果、これはバラには青を発色する酵素が欠けているからだということが分かった。そこに遺伝子組み換え技術の登場である。これまた各国の競争となったが、サントリーがオーストラリアのバイオベンチャー企業と共同で1990年から「青バラ・プロジェクト」を立ち上げ、ついに2004年6月に成功した。パンジーの青色遺伝子をバラに組み込んだのだという。平成19年3月から6月にかけて上野の国立科学博物館で開催の花の展覧会に「世界初の青いバラ」が展示された。「不可能」という熟語は“blue rose”から“black rose”に変えられるかも知れない。
さて、薔薇と俳句との関係に話を戻すと、不思議なことに「薔薇」という季語には日本原産のノイバラやハマナスは入っていない。それぞれ「野茨(あるいは花茨)」と「玫瑰(はまなす)」という別の季語になっている。いずれも夏の季語であることに変わりはないが、別物扱いである。これは、奈良平安時代に大陸から「薔薇」という字とともに入って来た中国産のバラ、さらには安土桃山時代以後ヨーロッパから入って来たバラが「薔薇」であり、日本原産のものは相変わらず「野茨」「花茨」と呼ばれ続けてきたことによるものらしい。曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」には、「薔薇」の傍題として「野薔薇(のしょうび)」が挙げられ、「花白く単也、野に多し」とある。やはり俳諧的感覚からすれば、派手な薔薇と野いばら(花いばら)とは到底一緒になれないということであろうか。
竹伐は日のあたりけり花薔薇 服部嵐雪
針ありて蝶に知らせん花薔薇 中川乙由
夕風や白薔薇の花皆動く 正岡子規
咲き満ちて雨夜も薔薇のひかりあり 水原秋櫻子
憂なきに似て薔薇に水やってをり 安住敦
電車待つ垣根の薔薇今朝は雨 高野素十
花びらの落ちつつほかの薔薇くだく 篠原凡
薔薇崩る激しきことの起る前 橋本多佳子
ジープより赤き薔薇落つ跳ねとびぬ 平畑静塔
ばら紅し地獄の先は何ならむ 油布五線
(野茨の句)
花いばら古郷の路に似たるかな 与謝 蕪村
愁ひつつ岡にのぼれば花いばら 与謝 蕪村
古郷やよるもさはるも茨の花 小林 一茶
近道や茨白うしてうす暗き 尾崎 紅葉
寂として残る土階や花茨 高浜 虚子
花いばらどこの巷も夕茜 石橋 秀野
見えてゐる野薔薇のあたりいつ行けむ 野澤 節子