万緑(ばんりょく)

 見渡す限り一面の緑に包まれた夏の光景である。初夏から晩夏に至るまで、いわゆる三夏を通じた季語だが、どちらかと言えば柔らかな色彩の新緑よりは、梅雨が明けて力強い陽射しの真夏の緑にふさわしい。「万緑」という季語は王安石の「石榴詩」の中の「万緑叢中紅一点」という句から出たものである。

 満目の緑の中に鮮やかに浮き立つ赤い花ということから、凡百の中にきらりと光る優れたものを讚える例として、あるいはむくつけき男どもの中の一人の女性を持ち上げる言葉として使われて来た。ただこの場合は「万緑」はいつの間にか置き忘れられて、もっぱら「紅一点」とだけ言われる。

 中村草田男は昭和十四年、『万緑の中や吾子の歯生え初むる』と詠んで、俳句界に衝撃を与えた。高浜虚子が『万緑の万物の中大仏』と詠み、飯田蛇笏が『万緑になじむ風鈴夜も昼も』、石田波郷が『万緑を顧るべし山毛欅峠』、山口青邨が『万緑の中さやさやと楓あり』というように、当時の俳壇のボスたちがこぞって詠んだから、「万緑」は完全に季語として定着した。

 俳句の季語としての「万緑」は王安石の詩の万緑とはちょっと趣を異にするようである。ましてや今日下世話に用いられる「紅一点」などとという言い回しの元になった万緑とは全然レベルの違うものである。草田男はこの句で、人間が人として生きて、育ってゆく最初の証しとして、「生え初むる」我が子の歯を提示し、それを育む大自然の力を象徴するものとして「万緑」という言葉を据えた。ここで言う万緑は生命感、躍動感そのものである。王安石の詩語として人口に膾炙され、卑近な喩えとして手垢のついていた「万緑」に、草田男は新しい意味付けをして生き返らせたのだとも言える。

 この季節を代表する似たような季語として、古くから「青葉」や「茂り(繁り)」があった。しかしこれらの伝統的季語は、たとえば「あらたふと青葉若葉の日の光 芭蕉」「光り合ふ二つの山の茂りかな 去来」というように、自然の素晴しさを素直に現わし、響きも柔らかい。これに対して「万緑」は非常に力強く、積極的な大自然讃歌の響きを感じる。

 真夏の草木の勢いは確かに生命感に溢れているが、一面では猛々しい、人を圧倒する感じも持っている。爛漫と咲き誇る桜の大樹の根方には陰鬱な闇があるように、万緑にも旺盛極まりない中にふと必滅の感じがよぎることがある。そのせいか、万緑の句には『万緑やわが掌に釘の痕もなし 山口誓子』とか、『万緑や死は一弾を以て足る 上田五千石』『万緑や死はもろもろの管とれて 三嶋隆英』というように、死にまつわるものが見受けられる。

 複雑でいかにも現代的な季語であり、「青葉」「茂り」と「万緑」は何を詠むかによって慎重な使い分けが要求されるようである。すべての季語に言えることではあるが、特に「万緑」はツボにはまると強烈な印象を与える句になるようである。ただ、万緑という季語はとても力強く、既にある種の思い入れというものが込められているから、これに付け合わせるものが理屈っぽい抽象的なものではほとんど成功しない。具体的な、むしろ平凡とも思えるような事物を添わせることが大切なようである。


  万緑の中や吾子の歯生え初むる       中村草田男
  万緑の万物の中大仏            高浜 虚子
  万緑になじむ風鈴夜も昼も         飯田 蛇笏
  万緑やわが掌に釘の痕もなし        山口 誓子
  万緑の中さやさやと楓あり         山口 青邨
  万緑を顧るべし山毛欅峠          石田 波郷
  万緑や力をこめて鐘をつく         下村 非文
  万緑や日月われをめぐるのみ        野見山朱鳥
  万緑やわが額にある鉄格子         橋本多佳子
  万緑の宇陀郡ぬけて吉野郡         右城 暮石
  万緑や囚徒拓きし直線路          松本 泰志
  万緑や死は一弾を以て足る         上田五千石
  万緑や現在位置を朱で示し         咾子 雷児
  万緑や死はもろもろの管とれて       三嶋 隆英
  水軍の島万緑に盛り上り          西村 旅翠

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