俳諧時代は「むぎのあき」あるいは「むぎあき」と詠まれていた。「ばくしゅう」と音読して用いられるようになったのは現代俳句、それも昭和もかなり後になってからのことのようである。
今日では「麦秋」と漢字表記して、柔らかな響きを求める場合には「むぎあき」「むぎのあき」と読まれるように作句し、はずむような響きが欲しい時には「ばくしゅう」と読ませるように用いられている。また、麦の収穫期のさわやかな感じの気候、時節をうたう場合には「ばくしゅう」という音感を利用し、ゆたかでのんびりした麦畑や田園風景の雰囲気を伝えようとする時には「むぎのあき」と詠むことが多い。このように「麦秋」は句の調子、雰囲気によって音読、訓読が使い分けられている。
前年の秋に収穫した米の蓄えが、段々と心細くなった頃合いに穫れる麦への思い入れが、「むぎのあき」という言葉には籠っていたようだ。そんな切実な思いを抱く必要がなくなった現代人は、ただ麦の穂が初夏の心地よい風にそよぐ風景を思い浮かべる。そのような時にはむしろ「ばくしゅう」というはじけるような音感が心地よく響く。同じ文字でも時代によって詠み方が変って来る。
「秋」という会意文字は、元々は「禾偏に束」という形であったらしく、収穫物を取り集め束ねる意味だった。「禾に火」というのも、作物を火(日)に乾かし収縮させる意味だという。とにかく穀物の収穫を意味する言葉であったのが、やがてそれらを取り入れる「時」を意味するようになった。中国北方で言えばヒエ、アワ、キビ、コーリャンなど、南方ならば稲(コメ)を収穫する時期である。一年中で最も大切な時期であり、その時期がすなわち「秋」ということになった。
その後、古代中国の政治・文化の中心であった黄河流域で小麦の栽培が盛んになり、アワやキビ類に取って代わって麦が穀物の主役の座を占めた。しかし、麦が実り収穫する時期は旧暦4月半ば過ぎ、今の暦で言えば5月下旬から5月初めである。そのため「麦のとれる時」ということで「麦秋」なる言葉が生れた。
麦秋は梅雨に入る前の束の間の快適な時期である。空は青く晴れ渡り、清々しい風が吹く。黄金色に稔った麦の穂が風に波打つ光景は美しく、雄大である。田植えがそろそろ始まり、地方や品種によっては田植えと麦刈りが並行して行われることもある。農家にとってはもっとも忙しい時期だが、それだけに異常に活気づく。みんな溌剌として、大らかな気分になる。
麦秋や雲よりうへの山畠 桜井梅室
麦秋や蛇と戦ふ寺の猫 村上鬼城
麦秋の島々すべて呼ぶごとし 中村汀女
麦秋や若者の髪炎なす 西東三鬼
麦の秋大利根ゆるく流れたり 小絲源太郎
麦秋や書架にあまりし文庫本 安住敦
麦秋のやさしき野川渡りけり 石塚友二
麦秋の驟雨はしれり海の中 石原舟月
麦秋や海のごときの黄河見る 坂本里子
麦秋や母のちからの握り飯 宮村明希