鮎(あゆ)

 海の魚なら鯛、川魚なら鮎、これが古来日本人の最も尊んできた魚である。ことに鮎は日本の川が汚染されていなかった頃には、どこにでもいたから、川魚の王としてもてはやされていた。

 第一に鮎は姿がいい。関東地方では六月一日に鮎釣が解禁になるが、この頃の鮎は人間で言えば青年期といったところで、体つきはスマートだがやせ過ぎという感じではなく、ふくよかである。白い腹からオリーブ色、薄墨色の背中にいたるまで、上品な装いである。

 第二に鮎は食味がいい。鯉や鮒をはじめ川魚には特有の泥臭さがあるが、鮎にはそれがなく、かえって得も言われぬ香気がある。香魚とも言われるくらいである。とれたての鮎は膾もいいが、さっと塩を振って焼いたものに蓼酢をちょっとつけて食べると、その香気と腸の苦味が何とも言えない。苦味と言えば、鮎の腸を集めて塩辛にした「うるか」は譬えようも無い珍味で、夏の夕方、打水をした縁先に、冷やした吟醸辛口とともにあれば、生きている倖せをつくずく感じる。もう少し上等なものに、鮎の卵だけを集めて塩漬けにした「子うるか」があるが、これは高価でそうしょっちゅう口にできるものではない。

 鮎は大昔から日本人に好まれた魚であった。万葉集巻の五には大宰の帥だった大伴旅人が、肥前唐津の松浦川に遊んだ時に詠んだ鮎の歌が数種載っている。

松浦河河の瀬光り年魚釣ると立たせる妹が裳の裾ぬれぬ
松浦なる玉島河に年魚釣ると立たせる子等が家路知らずも
遠つ人松浦の河に若年魚釣る妹がたもとを吾こそまかめ
若年魚釣る松浦の河の河なみの竝にし思はば吾恋ひめやも
春されば我家の里の河門には年魚児さばしる君待ちかてに

 といった歌だが、いかにもぴちぴちとした若年魚(わかあゆ)の飛び跳ねながら上って来るさまが目に浮かぶ。これらの歌のやや長い前書きには、旅人が松浦辺に遊んだ折、地元の漁師の家の娘達とのやりとりが述べられ、鄙には稀な容色に感じ入ったというようなことが書かれている。大宰帥といえば中央から派遣された九州地方を治める長官である。そのお殿様としたことが、ずいぶんと惚れっぽい様子を臆面も無く詠んだものだと微笑ましく思う。若い女の子たちが川の中に入って白くふくよかな臑もあらわに鮎釣をしている。着物の裾も袖も濡れてしまうではないか、思わずたくし上げてやりたくなってしまうというのである。ぎすぎすとした昨今ではセクハラと言われかねない一幕である。

 まあ、それはともかくとして、今から1300年も前に、鮎という魚が人々に親しまれていたことがよく分かる。またこの当時は女性が盛んに鮎釣をしていたというのが面白い。

 旅人の歌でも「年魚」とあるように、鮎はまれに2年生きるものもあるが、大概は1年で一生を終えてしまうはかない魚である。秋に川底で孵化した稚魚は川の流れに乗って海に出る。沿岸部の比較的暖かい岩礁付近などで越冬し、細かな動物プランクトンを食べて桜の咲く頃には5、6センチにまで育ち、また生れ故郷の川を遡って来る。かなり上流まで遡行して住み処を定め、もっぱら川底の石ころに生える藻を食べ、10センチから15センチくらいの成魚になる。やがて腹に卵を持ち、秋になると下流に下って川底に産卵し、「落ち鮎」となって痩せさらばえ、死んでしまう。

 春に川を遡って来る鮎が「若鮎」。川の中の段差が出来たところで、飛び越えようとする若アユが群れ集まるのをすくい取るのを「鮎汲み」と言う。これらは「上り鮎」「小鮎」とともに、春の季語である。

 若アユは上流へたどり着くと、水底に岩や石がゴロゴロして藻がたくさん付着している、いわゆる水垢の多い場所に縄張りをつくる。ほぼ1平方メートルに一尾の割りで縄張りが出来上がるという。この縄張りに他の鮎が入って来ると、猛然と攻撃して追い払う。この習性を利用して、竿の先に囮鮎を付けて泳がせ、襲って来る鮎を鉤に引っ掛けて釣り上げるのが鮎の友釣りである。

 鮎は水苔が主食だが、時にはユスリカなど水生昆虫も食べるので、それに似せた擬似餌によるドブ釣も行われる。また川に簀の子のような棚を仕掛けて、そこに跳ね上がる鮎を採る鮎簗漁も各地で行われてきた。さらに長良川で有名な鵜を使ってとる漁法も奈良時代からある。「鮎」とともに、「鮎掛け」「鮎狩」「囮鮎」「鮎漁」、さらに「鮎鮨」「鮎膾」「鮎魚田」などは夏の季語である。そして産卵期を迎え黒ずんできた「さび鮎」「渋鮎」、一抹の哀れを感じさせる「下り鮎」「落ち鮎」は秋の季語になっている。



  飛ぶ鮎の底に雲ゆく流かな   上島鬼貫
  鮎くれてよらで過行夜半の門   与謝蕪村
  鮎掛や浅間も低き山の中   河東碧梧桐
  鮎の香や膳の上なる千曲川   松根東洋城
  鮎食うて月もさすがの奥三河   森澄雄
  てのひらに鮎の命脈しづかなり   有馬草々子
  鮎放流早きは既に瀬をのぼる   寒川逸司
  跳ねしまま焼かれし鮎の軽さかな   林享子
  鮎寿司のその背にのこる星の色   山崎時二
  仏壇のある間も泊めて鮎の宿   林夾山


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