行く春(ゆくはる)

 時期で言えば旧暦三月の終わり頃の十日間ほど、新暦なら五月六日の立夏の前、ちょうどゴールデンウイークの頃が「行く春」である。関東地方以西では桜の散り終る四月半ばになると、「ああ春ももう終わりだなあ」という気分になるから、その頃からこの季語が当てはまると言ってもいいだろう。

 野山はかなり青みを増し、田植えの準備の代掻きが行われた田圃や池には蛙が鳴き交し、宇治や駿河路では茶摘みが始まる。これからいよいよ生々躍動の初夏、万物力がみなぎってきた気配の中に、なんとなく物憂い気分も漂う。過ぎゆく春の気怠さであろうか。「行く春」には、こうした時の移ろいを惜しむ雰囲気が込められている。その気分をもっと直接的に言うのが「春惜しむ(惜春)」である。

 松尾芭蕉は元禄3年(1690年)3月、近江の蕉門の弟子たちに囲まれて琵琶湖に遊び、有名な「行く春を近江の人とおしみける」と詠んだ。前年の3月から9月まで「奥の細道」の大旅行を敢行し、故郷伊賀上野でくつろぎ、翌元禄四年にかけて近江、京都、奈良などを巡遊、この間、大津市の幻住庵や京都の去来の落柿舎に住み、「猿蓑」「幻住庵記」など、蕉風円熟期の作品を残した。

 この「行く春を」の句に、近江蕉門の重鎮江佐尚白が疑問を呈したことが「去来抄」に載っている。少し長くなるが「行く春」という季語解説にもなるので引用する。

 先師(芭蕉)曰く「尚白が難に、近江は丹波にも、行く春は行く歳にも、ふるべし、といへり。汝いかゞ聞き侍るや」。去来曰く「尚白が難あたらず。湖水朦朧として春をおしむに便りあるべし。殊に今日の上に侍る」と申す。先師曰く「しかり。古人も此国に春を愛する事、おさおさ都におとらざる物を」。去来曰く「此一言心に徹す。行く歳近江にゐたまはゞ、いかでか此感ましまさん。行く春丹波にゐまさば、本より此情うかぶまじ。風光の人を感動せしむる事、まことなるかな」と申す。先師曰く「汝は去来、共に風雅をかたるべきもの也」と、ことさらに悦びたまひけり。(原文では『行春』『行歳』『玉はゞ』などとなっている)。

 尚白は、「行く春」を「行く歳(年)」に変えても、「近江」を「丹波」にしても、この句は成立するのではないでしょうか、という疑問をぶつけたわけである。つまり季語や固有名詞が『ふる』(動く)のではないかというのである。

 大先生の句に堂々と難癖をつける尚白という俳人はなかなかのものである。というより、蕉門にはこうした自由闊達な雰囲気があったのであろう。現今の俳壇の主宰独裁の空気とはだいぶ違う感じがする。

 芭蕉はそれを面白がったようである。そして去来を試している。「去来や、尚白があんな文句を言ってたけれど、お前さんはどう思うかね」。「それは尚白が間違っております。琵琶湖が朦朧と霞んでいる、あの景色こそ行く春を惜しむ気分が勝るのですから。それに何と言ってもこれは現場で受けた実感そのものですから」と答えた。

 芭蕉はそれに対してまず「そうだ」と頷いたものの、それではまだ半分正答だという気分で、さらに付け加える。「昔の人たちも近江の春を愛することは、都の春を愛でる以上のものがあったのだよ」と、「行く春」と「近江」には伝統的な詩情が込められていることを教えた。これで去来ははたと気がつき、「そうでした。(固有の場所の)風光が人に独特の感動を与えるものなのですね。だからこそ、行く年を近江に過ごしてもこうした感動は憶えないでしょうし、行く春を丹波で惜しんでも此の情感は味わえないと思います」。「そうなんだよ、去来、お前さんはやはり一緒に風雅を語り合える人間だ」と芭蕉はいたく喜んだ。

 芭蕉が「行く春を近江の人と」と詠んだのは、実際に朦朧と霞んでいる晩春の琵琶湖の景色に感動したからなのだが、その裏には、「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」(平忠度・千載集)をはじめ、近江の晩春を惜しむ気持は古来連綿と歌いつがれており、それに芭蕉も乗ったのだということがある。「行く春」と「近江」にはそうした深いつながりがある。近江の人間である尚白がどうしてそこまで思いを致さず、「丹波にも置き換えられる」なんて言ったのだろう。それに引き換え去来は芭蕉からヒントを与えられたとはいえ、すぐにピンと来たところはさすがだと、愛弟子を褒めたわけである。

 このエピソードは、固有名詞を句に詠み込むことの難しさ、逆にぴたりとはまれば大きな力を発揮することを教えてくれる。また「行く春」という季語には、日本人が大昔から抱き続けてきた独特の気分があることを物語っている。

 「行く春」の情感は「惜しめども春の限りのけふもまた夕暮にさへなりにけるかな」(読人知らず・後撰集)や「花は根に鳥は古巣に帰るなり春の泊を知る人ぞなき」(崇徳院・千載集)などの古歌に詠まれた気分がそのまま俳諧にも伝えられ、芭蕉や蕪村をはじめとして近現代の俳人に至るまで多くの人が句にしている。

 ただし、「行く春」はあまりにも情感たっぷりの、しかもそこはかとなく哀愁を帯びた詩語であるが故に、ともすればセンチメンタリズムに堕した甘っちょろい句ができてしまう。具体的な事物や動作と取り合わせて平静に詠み、感傷的表現を極力抑えることが、この季語を生かす道のようである。

 「行く春」は、春の名残、春の別れ、春の行方、春尽く、春の果て、春の泊などとも詠まれる。また似たような情趣の別立ての季語に「暮の春」「春惜しむ」がある。

  行く春や鳥啼き魚の目は涙   松尾芭蕉
  ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ   与謝蕪村
  鼠なく雨夜を春の別れかな   夏目成美
  行く春の町や傘売りすだれ売り   小林一茶
  行春やうしろ向けても京人形   渡辺水巴
  春尽きて山なみ甲斐に走りけり   前田普羅
  ゆく春や四国へわたる旅役者   吉井勇
  逝く春や粥に養ふ身のほそり   中川宋淵
  行春や辛目に煮たる湖の魚    草間時彦
  行く春を走り抜けたる一馬身   笹尾照子

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