余寒(よかん)

 立春以降、寒さが居残っていることを言う。よく似た季語に「春寒(しゅんかん、はるさむ、春寒し)」がある。どちらも同じことを言っているのだが、「春寒」の方は「寒いけれど、何と言ってももう春なのだ」という、春の訪れの方に比重をかけるのに対して、「余寒」は「春というのに相変わらず寒い」という「寒さ」に重点が置かれる。

 「冴え返る」という季語もほぼ同じ時期のものである。「冴ゆ」というのは冬の季語だが、春になってぽかぽかして来たのが、一転、また寒く冷え込むことを「冴え返る」と言った。さらに近代、明治に入ってこうした春先の気分を詩的に表現する言葉として「春浅し」という季語も生まれた。いずれも冬と春の境目の変りやすい温度変化を俳人の感覚で捉えた言葉である。

 西高東低の冬型の気圧配置が徐々に崩れていき、台湾付近や日本海に低気圧が発生し、それに向かって南風が吹き込む。それが春をもたらす「春一番」だが、そこに至るまでの、冬型の天気が弱まりながらも時に息を吹き返すという時期が、「余寒」「春寒」である。この頃はまさに三日寒くて四日暖かい日が続くといった「三寒四温」の現象が現れるのだが、俳句では「三寒四温」は冬の季語である。十一月末から十二月、急に冷え込んで来たと思ったらまた暖かい日が戻るという「小春日和」の時期にみられる三寒四温を季語として据えたためであろう。もっとも「三寒四温」は一月末頃の、やけに寒い日が続いたと思ったらうらうらと晴れて暖かい日になって、ほっとした感じに浸るのを詠むのにも使われるようになった。こうなると、時期と言い、気分と言い、「春寒」とは紙一重である。

 それはさて置き、冬の日本は寒いなりに天気は安定しているのだが、二月から三月初めにかけては不安定になりがちである。大陸からの移動性高気圧におおわれて上天気になったかと思えば、太平洋南岸を低気圧が通りすぎ、そこへ北からの寒気が吹き込んで来る。そうなると寒さが戻り、場合によっては「春の雪(春雪)」となる。そのあたりの、「春と言うのにこの寒さ」といった、伸び始めた芽がまたすくんでしまうような感じを伝えるのが「余寒」である。

  思ひ出て薬湯立てる余寒かな   黒柳召波
  水に落ちし椿の氷る余寒かな   高井几董
  鴬はきかぬ気でなく余寒かな   小林一茶
  残り少ない余寒ももののなつかしき   正岡子規
  鎌倉を驚かしたる余寒あり   高浜虚子
  ひなどりの羽根ととのはぬ余寒かな   室生犀星
  いそまきのしのびわさびの余寒かな   久保田万太郎
  鯉こくや夜はまだ寒千曲川   森澄雄

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